ハナとマチヤ
まさか、と思った。
あの楚々とした白い花が消えてしまった。
大阪府内の城下町。
江戸時代に城主が愛でたことから城下に咲き乱れていたという花。
明治維新後、城がなくなってもその花だけは残った。
寺社や限られたところに引き継がれ、やがて市井にも伝わったらしい。
以前ならまちのあちらこちらでその花を見かけたものだった。
町家をたからものとして生きたまま未来の子どもたちに伝えたい。
そんな思いで十数年前から仲間たちと活動してきた。
このまちもそのひとつだ。
町家を調べて歩き、地元の人々と出会っては語り合う。
町家は古い家というだけではなく、まちの歴史や文化を今に伝えてくれる。
そして、潰す以外にも道があるのだと。
活動が成果をあげつつあった数年前のある日、ふと気づいた。
あの白い花を見かけないことに。
あわてて仲間たちとさがしまわったが、一向に見つからない。
世話をしてきた人たちの高齢化と気候の烈しさが大きな要因と思われたが、
気になったのは、この花の存在意義が殆ど意識されていないことだった。
まさか。町家に気を取られている間に花が消えてしまったのか。
これは一大事だ。
行政にも声をかけて一緒になってさがし、たくさんの人たちから協力を得ることができた。
その結果、数年がかりで花を見つけ出し、守り、そして現在は増やしていく段階にある。
花を育てるのが上手い人たち、専門職の人たちが集まってくれたのだ。
花は、明治維新から150年経って絶えかけた。
次の150年先にも咲いていてほしい。
あちらの庭先にこちらの軒先に、もう数えきれないほどたくさん咲いて、
そしていつの日か復興された城にこの白い花が返り咲きする。
今、そんな風景を思い描いている。
忘れ去ってしまえば絶えてなくなるのは花も町家も同じなのだ。
確かに、それらが絶えても人々の営みに殆ど影響はないだろう。
しかし。
花や町家の傍らには必ず人々の日常があり、平穏な暮らしへの祈りがあったはずだ。
数百年前から続いてきた人々の思惟の流れ。
それを引き継ぎ、次の世代へとつないでいくことは自然なことと思える。
私たち一人一人にできることは小さくても続けていく。
それぞれの場所でそれぞれにできることを。
持ち寄った思いが、やがてゆるやかにつながって、時を渡る大きな河となる。
風に揺れる白い花を見ながらそんなことを思った。