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この礼は君が大人になった時に、今度は君が若い人に返せばええんや

ぼくはその春から大学生になっていた。
事情があって受験せずに高校を卒業し、一年間新聞奨学生として過ごした結果だ。

実際には、入学までにかなりきわどい状況があった。
ぼくは新聞奨学生制度を利用しなければ大学には通えない。
学費と生活費を自ら得ながら大学に通う他の方法を知らないのだ。
ところが、試験に合格したのに、入学できないという問題に直面した。
専門性が高く拘束時間が長い工学系学部等は学業と仕事の両立がむずかしいと考えられており、
当時は新聞社が大学側と提携している場合に限り新聞奨学生として採用されることになっていた。
そして、ぼくの合格した大学はその提携対象ではなかったのだ。
もちろん、第一志望は新聞社と提携している大学だった。
実際に合格した大学には受かっても入学できないけど、場慣れのために先行して受験したのだ。

その試験初日。
生まれて初めての大学入試、待ちに待った日だ。
この日からはじまる受験のために一年間働きながらがんばってきたのだ。
ぼくはとても気分よく試験を受けた。
試験会場は階段教室で、縦長の繊細な連窓が印象的。窓外の冬空と揺れる細い枝の連なり。
ぼくはこの大学が好きになってしまった。だけど合格しても入学できない。
試験を終えてピロティの吹抜けを折り返すスロープをゆっくり降りながら、
もう二度とここに来ることはないのだと自分に言い聞かせた。
場慣れのために気負いもなく試験に臨めたせいだろうか、結果として第一志望校に落ちて、その大学には合格したのだ。
事前データからは第一志望の方が合格確率が高かったから、プロの受験生としては失敗だったのだろう。
しかし統計的なデータだけでは現実は測れない。
実際の試験問題との相性が合格した大学の方がよかったという実感がある。
現地で抱いたキャンパスへの親近感や憧れの違いも影響していたかもしれない。

このままでは大学に入ることができない。折角一年がんばったのに。暗然たる気分。
入学手続きの期限も迫って来る。一体どうすればいいのだろう。
焦燥、混乱。だけど仕事は毎日続く。
予備校の入学金や学費を完済し、新聞奨学生の契約が切れる三月末までは働かねばならない。
地に足が付かない、心がここにない、そういう状態で新聞を配り続ける。
いやむしろ仕事に無心で取り組んでいる時間が救いだったようにも思う。

新聞奨学生は籠の中の鳥だと店の人たちは言う。
学校に通いたければやめられないし、入学金等を一括返済できねばやめられない。
そうして毎日毎日同じところをまわり続けている。
この閉じられた場処から、いつか抜け出せるのだろうかと思ってしまう。

そんなある日。
仕事の後、店長から声をかけられた。
店長は40代半ばくらいだろうか。おそらく実年齢よりも貫禄があった。
がっちりした体格で少し色の付いた眼鏡の奥の目はいつも厳しく鋭い。
どすの効いた笑い声を発していても目は笑っていない。
いわゆる強面だ。
個性的な店の面々も店長には素直に従う。
店長は大学時代にはすでに店の経営を手伝っていた。
体育の授業で「前回り(前転)しろ」と教官に言われて、
「ええ大人がそんなガキみたいなことできるか」と拒否して単位を落とし、
そのまま退学し、そして今は中退を後悔しているという。

翌日、店長に連れられて新聞奨学会本部に行った。都心の大きな新聞社ビルだ。
ビルに切り取られた空がすかーんと晴れて青かった。

店長が担当者に掛け合ってくださる。
「試験に受かるのは本人の仕事。こっから先はワシらの仕事や。うまいこと計ろうたってくれへんか」
「電話をいただいてこちらでも検討していました。提携していない大学の理工系学部ですが、
予備校からの継続ということで新聞奨学生として採用します。
ただしこれは、一年間まじめに働いて入試にも合格した実績を認めた上での特例です。
店長のお店で引き続き働くというのが条件です」
この一年は決して無駄ではなかったのだ。
本人があきらめずに努力する限り、努力するための環境を整えてくれる大人がいるのだ。
ありがたさが身に染みた。
自分にはどうすることもできなかった。店長や奨学会の方たちのおかげで大学に入れる。
何とお礼を言えばいいのだろう。

「この礼は君が大人になった時に、今度は君が若い人に返せばええんや」
その店長の言葉にぼくは驚いた。
社会の意思のような広く大きなものを感じる。
人の世にはこういう面もあるのだ。自分もそうなれるのだろうか。

子どもの頃から親が他人に裏切られる姿を見て育った。
親を騙し裏切った大人を心底憎悪し、そして諦めてしまっていた。人というものを。
人を信じられず、警戒心の塊になった。
所詮、人は自分のために動く。そういう生き物だ。
状況が穏やかで切迫していなければ皆いい人だ。しかし、状況が変われば人は自分のために他人を切り捨てる。
それが人間なのだ。ぼく自身もそうなのだ。人はぼくを裏切るし、ぼくも人を裏切る。
この先も必ずそうなのだろう。生きていく限り。
「人は自らの魂の平安が得られる方へしか進めない」
自分のために、あるいは、誰かのために何かをしたとして、そうしなければ心が落ち着かないからそうした。
善い事であろうと悪い事であろうと同じ。ぼくにとってこれは絶対的な真理だった。
このことに気付いた時からぼくはどこか壊れた子どもになったと思う。
そして、これだけは老人になっても変わることがないだろう。
よって、人に期待しない。裏切られて悲しむこともない。割り切ってしまえばその悲しみを怖れなくて済む。

でも。
人の歴史がこの真理による事象の連鎖にすぎないにせよ、決して裏切りだけではなく、
若者を助けようとする大人の思いも存在する。店長の言葉でそれを実感した。
人が生き物だから、なのか。
若い人へ、若い人へと何かを託そうとする。
これは種の保存則を素直に体現し、遺伝子の意思に従っているようにも見える。
だとすれば、これは地球の意思なのか。大げさだけど、視野の広さが違い過ぎるのだ。
それを思い知らされた。ぼくはなにも知らない子どもだったのだ。
まわりの大人や先輩に助けられて、大切なことを身をもって知ることができた。
この一年は貴重な宝物だ。
こうして得た大学生活。ここまで来たからにはなんとしてもやり遂げたいし、何かをつかみたい。
心からそう思った。

学舎に挟まれた狭い空間。コンクリートで舗装されて、真ん中に水たまりがある。
地盤が沈んで水勾配が変わったせいだろう。暗い空間に小さな水たまり。そこに映る青空。
まるで地面にぽっかり開いた穴から空がのぞいているようだ。少し愉快。
閉じられた空間から抜け出せる窓の存在を信じてみたくなったから。

 * * *

十数年後。
ぼくは無事に大学を卒業し、設計事務所で働いている。
仕事はとても厳しいけど、業務全般任せてもらえるようになってきた。充実している。
そんなある日、店長にお目にかかる機会があった。
新聞専売店も再編の波が激しく、すでに店長ではなくなっていたけれどお元気そうだ。
店長のお母様が米寿だと聞いて後日お祝いにひざ掛けをお届けした。
新聞専売店のスタッフは皆、朝夕の食事を店で一緒にいただく。
店長だけではなくお母様にも大変お世話になっていた。
それ以来、店長とご家族にはお目にかかっていない。

そして。
あの時の店長の言葉は今も胸にあり、大人になったぼくは自らに問い続けている。
自分自身が若い人やあるいは若い人に限らず誰かに何かを返せているのか、と。
おそらくこの先も問い続けるだろう。
この自問が時として圧をかけてくることもあれば、逆にくじけそうな心を奮い立たせてくれることもある。
きっとそうに違いないと思うのだ。
ぼくが地球の一部である限り、青い空が見ている限り。

(若かりし頃を回想してちょっと美化して書いています)

長文ですがお付き合いありがとうございます。

気がつけば1月もあと少し。
お互いにかぜやインフルに気をつけてすごしましょう。
それでは、また


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