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受援力と子どもの無事と

子どものネグレクトを含む虐待について、悲しいニュースが相次いでいる。
悲しい記事にやりきれなさを感じる。

子どもの安全が守られなければならないことが最優先であることはもちろん大前提である。何の罪もない子が亡くなるニュースに憤りを感じつつ、しかし、ネグレクトをした母親がたくさんの責めを浴びせらることに、実はこの社会の解決の難しい一面を感じる。

「ワタシ(ボク)なら、絶対にこんなことはしない!」

という言葉・・・。

そのように断罪する人の気持ちもわかる。
しかし、その発言の前に、なぜ?このような事件が起きたのかを、感情論抜きで考えてほしいと思うのだ。

このような場面に自分が置かれないこと自体が、幸せなことだということに気づいてほしい。
若い母親が、助けてもらう方法を知らずに子育てをしている現実は、

私たちの社会が作っている。

役所のみなさんが奔走されていることを、以前、記事に書いたことがある。
1歳6ヶ月健診や3歳児健診という法定健診の他にも、妊娠中からの両親教室、新生児訪問、4ヶ月、10ヶ月の地区ごとの集まり・・・授乳がうまくできないお母さんのための訪問や体重が増えない赤ちゃんのための相談など、数々の支援の中で、虐待の恐れがあったり、親としての役割が出来ない状態の両親を見つける事業がある。
しかし、そこでも連絡がつかないまま漏れてしまうケースもある。
夜、働いているのに頼れる人がいない、夜間の保育園の整備がないなど、親の働き方全てをカバーできない、社会の実情がある。


昔、パリでみた光景を思い出す。

地下鉄の階段に座り込んだホームレスの方に、みなさりげなく小銭を置いていく。
我々の作っている社会が、あなたをこのような目に遭わせている、と少なからず自覚しているからだ、と一緒にいた人に聞いた。

信頼していた友人が、あるとき思いがけないことを言った。
「ホームレスは怠け者だ。何をやっても働いていけるはずだ。それなのに、働かないでいるんだ。」
私は、耳を疑った。
「あの方の半生の何を知っているの?
普通に学校を出してもらって(自分で出たわけではない)、健康で、いつでも何か適職を見つけられる人ばかりではないでしょう?」
そこまで言ったら、虚しくなった。

それが他人への想像力の欠如と無関心だということを、わかってほしかった。

正論をぶつけてしまうと逃れられない苦しみを深くする人たちがいることも、理解してほしかった。



子育てというのは、想像がしにくい面もある。
2時間おきの授乳で眠れない期間が続くこと、自分の時間など取れない毎日が何年か続くこと・・・・。
両親を頼れて、思う通りに人生設計をできる母ばかりではない。
私も身をもって実感したのは、子供が生まれてからだ。

駅で子どもを怒鳴る母親に、冷たい視線を向けてはいないだろうか。
もちろん、言葉の暴力はあってはならない。
しかし、赤ちゃんを抱いて、幼児を連れて、ベビーカーを担いで困っているお母さんを、助けてくれる大人がどれだけいるだろう。
ママは、泣きそうなのだ。いっぱいいっぱいなのだ。

「どうしたの?可愛いお子さんね。」その一言と笑顔を向けてあげることだけで、ママを助けられることもある。
心がゆるむからだ。

虐待する親の中には、自分が虐待をうけて育った人も多い。
子どもの頃にあたりまえの日常であったことを、癒されぬまま、あたりまえの日常として自分の子どもにしているだけという、深刻な事実もある。

支援があるところまで、辿り着けない人もいる。


支援の反対。受援。
医学博士・吉田穂波先生の『受援力』の記事を思い出した。

派遣切り、ホームレス、孤独死。
社会から刷り込まれてきた「人に迷惑をかけてはいけない」「自己責任」「人に頼る=自分が弱い」という洗脳は、もはや時代に合ってはいないのに、それを知らずに前時代的なマインドで物事を一人で対処せざるを得ない。

「助けて!」

と言っていいんだ。
そのために必要な「受援力」について、受援力ノススメ、というパンフレットを作られている。

ここには、どんな時代にも"助けたくなる人" になる10の法則が書かれている。
そして、「頼む+感謝+大喜びの公式」
が載っている。


人を助け、人のいい面を引き出し、人を喜ばせられる仕事をしている、こんな時、実は助けている方が一番励まされ、楽しい思いをしているのかもしれませんね。

という結びである。




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LUNA.N.
書くこと、描くことを続けていきたいと思います。