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自己紹介【場面緘黙の落ちこぼれがノマドフリーライターになるまでの思考と嗜好】

生まれつき「自己開示」だとか、「上手にコミュニケーションを取る」だとかが、なかなか苦手な人間です。

でも、周囲に心を閉ざしているのではなく、むしろ仲良くしたい。

それが伝わらず「協調性がない」「暗い」などと言われるたび、「は?  うるせぇ」もとい「もどかしいな」と思ってきました。

なので、
「とりあえず、私の重要な一部分については大体わかってもらえるんじゃないか」
というページを作ろうと決意し、noteを始めて4年目にして、今さら自己紹介します。

※一応、初投稿時に「自己紹介っぽいこと」を言っているのですが、当時は会社員で、「プロの書き手」ではなかったため、若干自虐まじりの遠慮ぎみです。
今はとりあえずライターの端くれとしての自負と責任感を持ちつつ、もっと思いのままに書いてみようと思います。


名前は何でもいい。「なつ」が浸透中のライター

野木奈都(のぎ・なつ)というペンネームで、フリーランスのライターとして活動しています。

本名は名乗るほどのものではないので触れませんが、外国の方には発音しにくい名前のようです。

中学校のカナダ人英会話教師には「ウォウォウォツキョ~」と呼ばれました。

社会人になって始めたオンライン英会話の講師には、なぜか某大ヒット漫画・アニメのヒロインと同じ名前と勘違いされ、「ネズコ!!」と連呼されました。
(かなりオタクの先生で興奮されており、画面越しでも身の危険を感じたので訂正はしませんでした)

ペンネームは大学のワークショップで、ケンブリッジの学生さんと演劇活動をしたとき「ノギナツ~」的な名前で呼ばれたのがきっかけで生まれたものです。

国際社会において呼びにくい名前なら、もう何でもいいので、呼びやすい名前でお呼びください。
現状「なつ」「なつさん」が主流です。

仕事はフルリモートで、執筆場所は自宅ですが、取材旅行中は全国の宿のお部屋で、どんな記事にしようか妄想したりもします。(機密を守るため外出先では執筆はしません)

場面緘黙で地獄の学校生活。「普通」になれない子供時代

保育園から小学校にかけて場面緘黙(ばめんかんもく)を患っていました。
家では問題なく話せるのに、学校で言葉がうまく出ず、他人と意思疎通できない症状です。

今でこそ、症状について啓発活動がおこなわれていますが、当時は「世界中で自分だけが異常」だと思い込んでいました。

小学校は6年間、誰とも一言も口を利かずに卒業しています。
当然、ヘンな子供として陰口や悪口はさんざん言われたし、無抵抗だからとボールやカバンを投げつけられたこともあります。

おまけに運動も勉強もできず、軽蔑される存在、いや存在価値すらない空気のようなものでした。

死ぬことも考えたのですが、「漫画家になりたい」という夢があったので、学校以外の時間は絵を描くことで自分の心を守り、生き抜きました。

自分なりに状況を打開するための努力を始めたのは、小学校5年生の頃です。
この時期、落ちこぼれの生徒が猛勉強する『ドラゴン桜』に影響を受けたこともあり、初めて授業以外で勉強らしい勉強をスタート。

家庭教師の先生から、大の苦手な算数を教えてもらい、地元で最低ランクの私立中学校には合格できました。

女子校だったので、小学校時代にいじめてきた凶暴な男子もいないし、そもそも知り合いが誰もいないので、ようやく人と口を利き始めます。

小学校の知り合いは自分を、
「喋らない異常な子」
「お礼もお詫びも言えない性格の悪い子」
と思っていたはずですが、そう認識している人がいないあらたな環境で、ようやく「普通の喋る子」になれたのです。

それでも底辺の女子校だけあり、分別のない子が多く(自分も初めて他人と喋るのだから、クラスという社会への適応が難しく相当な問題児でしたが)、やはりいじめや悪口が横行していました。

「いじめが一切ない環境はないのだろうか」と調べて、高校は通信制に進学。

そこではいろいろな事情を抱えた子たちが多く、いじめや悪口は一切なくて、ようやく天国のような学校があったと感じました。

高校3年間は落ち着いて勉強に集中できる環境を手に入れたので、猛勉強を重ね、偏差値60以上の私立大学に合格。

やっとの思いで「それなりの学歴」を手に入れ、大学では大好きな演劇について学びながら、最も楽しい学校生活を送りました。

仕事はフリーランスのライターを中心にディレクターやマーケター、ヨガ講師など

大学はほぼ問題なく通えたとはいえ、「異常な」経歴の持ち主なので、「普通に会社員として就職する」選択肢は現実的ではありませんでした。

大学を卒業後は、自分が最も向いている生き方を知るため、フリーターや大学院の聴講生などとして、いわばギャップイヤーのような期間を過ごします。
(絵の才能がないことに気づき、漫画家の夢は中学校時代にあきらめていました)

ただ、自分の常識のなさに気後れして、どこでもあまりうまくいかず「会社員をやっておかないとまずいかも」と、勇気を出して就職します。

しかし、パワハラを躾と称する社風で息苦しく、満員電車で吐きそうになりながら通勤する日々は、小学校時代の次に地獄に近いと感じるほど。

毎日、満ぱいの電動断裁機を両肩に載せられているような気分で通勤していた時期、SNSで「いなフリ」(現在の「ワークキャリア」)という、フリーランス養成講座を知りました。

「フリーランスなら人間関係のしがらみに悩まなくて済む。心をすり減らさずに働ける」

ピンと来た私は、会社を退職して、ワークキャリアに入学。
大学では詩の創作賞・書評劇評のコンテストなどで入選して「文章を書くことは唯一得意なもの」と自負していたので、「仕事にしたい」とライターの講座を受講します。

学んだことを即実践した結果、ありがたいことにフリーランスのライターとして、すぐに月10万円以上を稼げるように。

「このままでは無職だ」と考えていた私からすれば、10万円は大金でした。

あれから4年が経ち、現在はライターに加え、ライターチームを引っ張るディレクターや、ヨガ教室のマーケターとして活動しています。この間に資格を取ったヨガ講師のスキルを活かしながら、ボランティアでレッスンもしてきました。

紆余曲折ありましたが、場面緘黙の落ちこぼれだった私は、ノマドフリーランスとして、自由気ままに旅をしながら働いています。

ゴミと同等の扱いだった小学校時代から、幾度も死のうと思いました。

でも、自分にできることを1つひとつ、小さな一歩でも淡々とこなした結果、自分らしい生き方ができるようになったのです。

そろそろ、苦しんでいる人の力になれるような活動を少しでもしたいと思っています。

今だって自分の事で精一杯の弱い人間ですが、ほんの少しは周囲を気遣う余裕ができていると信じたいですから。

文化的な好物(主にアート全般)

ここからは自己開示(という名目の性癖さらけ出しコーナー)なので、軽く楽しんでいただければ幸いです。

映画
大学時代の専門は演劇で、4年間「めっちゃうまいな」と思う俳優を1年ごとに合計4人研究しました。卒論のテーマは英国の名優ジョン・ギールグッド(誰やねん)です。

20世紀より前の俳優しか研究対象にできず、必然的に昔のモノクロ映画を片っ端から観て、その演技を分析する日々でした。

結果、演劇より映画に熱中して、年間鑑賞数の最高記録はソフトを含め300本です。

モノクロ映画というと敬遠されるかもしれませんが、面白い作品はいくらでもあるし、何より俳優が芸達者で見飽きません。

こぢんまりとした名画座やミニシアターの数が減っていてさびしいですが、そういった劇場は、隠れた名作に出合えるのでおすすめです。

最も好きな作品はエルマンノ・オルミ監督の『聖なる酔っぱらいの伝説』、邦画だと最近リメイクされた黒澤明監督の『生きる』。

音楽
音楽は最愛の芸術であると同時に、専門家ではないからこそ趣味は雑食。

クラシック・ジャズ・童謡・60年代英国ロック・映画音楽・ボカロなど何でも。

特定のジャンルやアーティストというより「この曲いい!」と思ったものは片っ端からハマります。

滝廉太郎、ビートルズ、アレサ・フランクリン、エンニオ・モリコーネ、中島みゆき、B'z、米津玄師(ハチ)、ヨルシカなどかなり多方面の曲を際限なく、偏見なく吸収中。

小説
日常生活におけるちょっとした不条理を感じさせる作風や、ディストピア的な物語が好き。
ジョージ・オーウェルの『一九八四年』も、村上春樹の『1Q84』も大好物。

世界史
アラサーにして学び直し中。通信制高校で当時の「世界史A」という基礎科目の、さらに基礎の部分をサラッとしか学びませんでした。

でも通信制は評価があまいので、簡単なレポートとテストで、よくわからないまま単位を貰えたんです。

「世界史を理解していない自分は、本当に高校を卒業しているのだろか」
と感じながら大学に進んだら、実際、世界史に関係する講義はチンプンカンプン。
最前列で必死に聴講しても、平均以下の評価でした。

劣等意識を抱えながら過ごすうち、27歳で奮起してスキマ時間にスローペースで勉強を始めたら熱中。

現在は東大の記述式問題も、時代によっては模範解答に近いものを書けるようになりました。

『ドラゴン桜』の桜木先生に「お前らバカはもうバカじゃねえ」と言ってもらうのが夢。
学ぶうちに気になって深掘りしている人物は、マルティン・ルターとダヴィド・ベン=グリオン。

大好きな人々。愛してるよ、ずっと

場面緘黙経験者の自分に辛抱づよく接して仲良くしてくれた少数の友人たち

Kさん:
リアルタイムで場面緘黙だった小学校時代、自分をゴミではなく対等な人間として扱ってくれた、成績トップの女の子。

東大を早期卒業し、敏腕な社会人として活躍していることをSNSで知っています。友達がいなかった私の卒業アルバムに、寄せ書きを書いてくれた唯一の人。

私もお返しに「助けてくれてありがとう」と書いたけれど、今、改めて、自分の口から伝えたいです。
いつかお会いできたら、私から声をかけさせていただきます。

Sさん:大学で出会った学友にして生涯の友。大学次席の秀才にして最高の人格者。

情緒不安定な私と向き合うのは、労力が必要だったと思います。それでも静かに、優しく、過ちも暗い過去もすべてを受け止めてくれました。

生きていくには、あなたの存在が必要でした。今でも必要です。出会うべくして出会ったと思っています。

これからもたくさん迷惑をかけるだろうけれど、私もあなたのすべてを受け入れるから。

Yさん:身体の99%が良識でできている人。常識がなさすぎる私に、イラついたことがあっても、絶対に見放しませんでした。

人に話しかけたり、メッセージを送ったりするだけで、不安と緊張で気分が悪くなる時期に出会った人です。

当時の自分は世間知らずで心が狭く、他人を見下すようなこともありました。
そんな最悪な時代の自分に出会ったにもかかわらず、今も連絡すれば返事をくれます。

こんな人がいるだけで、世の中捨てたもんじゃないです。こんな人が苦しむ世の中なら、どう考えてもおかしい。
むかしたくさん愚痴を聞いてくれた分、次に会うときはたくさん愚痴を聞かせてください。

米津玄師さん(歌手・ボカロP「ハチ」)
生きづらさを抱えつづけてきた自分にとっての神様。
教室や職場で「価値のない存在」として無視されるか、虐げられている人たちに、自身も同じ目線で寄り添ってくれる方。

文学や芸術、哲学からの影響を感じさせる歌詞の数々は、複雑に空を舞いながらも、ストレートに聴き手の胸に着地します。

1節ずつ歌詞が聴こえてくるたびに、宝箱の中の水晶やビー玉をつまんで眺めているような喜びが、胸に溢れかえります。

大村智さん(化学者・ノーベル医学生理学賞受賞者・日本エッセイスト・クラブ会長)
ある展示会で中学校時代の成績表が公開されていて、自分とさほど平均評定が変わらなかったことに驚愕。

「人生全体がオール5」のようなエリートとは違う、もっと親しみやすい次元に身を置きながら偉業を成し遂げた方だと思います。

「ノーベル賞学者=エリート」という固定観念が外れ、誰もが学ぶことで何歳からでも、いくらでも飛翔できると思えました。

理系分野の権威でありながら、美術や文筆の活動にも携わる姿には尊敬の念しか抱けません。

「好きなことはいくらあってもいい」と気づかせてくれる生きざまに乾杯。

結局、何が言いたいかというと

結局、4年前と変わらず自信なさげな自虐気味の文章に思えます。

でも、ライターという天職に出合う前の自分と違うのは、無様で不器用な一面も、自分の一部として愛していく気になれていることです。

「自律神経めっちゃ弱そう」
「もっと明るくなりなよ」
と言ってくる人々には稲葉浩志風に、
「アナタァは私のぉ、ほんのイチブしか知らなぁい」
とうそぶきながら、飄々と生きている今日この頃。

今年からは、ずっと放置していたnoteに、エッセイや戯れごと短歌などの形で「ほんのイチブ」を集積していく予定です。

お時間あるときにでも、お付き合いいただけると喜びます。

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のぎなつ
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