何かを伝えるということ(コスタリカ種蒔日記)

 人とのコミュニケーションで、いちばん大切なもの。
 それは、相手への「信頼」なんだろうな。
 コスタリカに来て、そう感じる場面がたくさんあった。 

 言葉も文化も違うと、ついつい人と話すのが億劫になってしまうときがある。
 黙ってるのは気まずい。友達にはなりたい。でもうまく通じ合えなかったらそれはそれで気まずいから、どうしていいかわからない…。
 でも、もしその人とこれからも関係を続けていきたいなら、伝えることを諦めちゃいけないんだ。
 少々面倒くさくても、自信がなくても、怖くても。
 言葉がいまいちわからないわたしに、ここのみんながあれやこれやの方法で何かを伝えようとしてくれる姿を見て、それを学んだ。
 考えてみれば、彼らの方だってわたしとのコミュニケーションに苦労している。
 指差しやジェスチャー、スマホで写真を見せるといった、非言語コミュニケーションの常套手段は、わたしにはあまり通用しないから、難易度はかなり高いはずなのだ。 

 そのみんなの粘り強さに応えたくて、わたしも日々体当たりコミュニケーションを試みるようになった。
 わからない言葉は辞書を引き、言葉で伝わらないときは、あきらめず手持ちのアイテムを総動員する。 
 流行の歌の動画に、楽器に、お菓子。
 犬やねこがいれば最高だ。彼らが間にいてくれるだけで、相手との距離がぐんと縮まる。
 いちいち緊張し消耗もするけれど、その分ほんの小さなことが通じ合えただけで、信じられないほどうれしい。

 大学のキャンプサークルで、高い木の上に張り巡らされたロープのアスレチックで遊んだことがある。 
 そこに、平行に渡された2本のロープの上をペアで力を合わせてわたるゲームがあった。
 2人がそれぞれ1本ずつロープの上に立ち、向かい合わせになって手と手を合わせ、お互いに相手に体重をかけながら、カニ歩きで進んでいく。
 このとき大事なのが、相手を信頼して思い切り身を預けること。
 それで初めてお互いがお互いのつっかえ棒の役目を果たし、細い不安定なロープを渡れるのだ。 
 逆に怖がって腰が引けていると、あっという間に2人してロープから転げ落ちてしまう。

 それと同じで、自分のことを一生懸命伝えるのは、相手への信頼を示すことだ。
 理解してくれようとするだけの忍耐強さが相手にあるって信じること。
 たとえ意見が違ったって、それぐらいじゃこの人との関係は壊れないって信じることだ。

 意思疎通に、日本では考えられないほどエネルギーがかかるせいで、毎日ぐったり疲れ果て、夜ご飯を食べるとすぐベッドに倒れこんで寝ていたが、すごくいい体験をしているという自覚があるから辛くはなかった。
 あの全力コミュニケーションの感覚を知れたことは、わたしの留学の大きな収穫だ。

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