暑い暑いクリスマス(コスタリカ種蒔日記)

 手を伸ばしてもてっぺんに届かないほど大きなクリスマスツリー。
 家々のドアに下がる大きなリース。
 聖書のキリスト降誕の物語を象った伝統的な人形飾り…。
 12月に入るとすぐに、コスタリカの街はどこもクリスマスの飾りでいっぱいになる。   
 日本のお正月のようなもので、1年で一番大きな、大切なお祭りだ。
 当日に向け、だんだんと人々の気持が華やいでいくのがわかる。
 だが、そんな人々が楽しげに口にするのは…
「今度の週末は、どこどこのビーチに行こう!」
「そろそろサーフィンの季節だぞ」
 そう、こちらの12月は暑いのだ。このころには季節は完全に乾季へと移り変わり、来る日も来る日も太陽がかっかと照り付けてくる。
 それでいてクリスマスツリーには雪だるまの人形や雪を模した綿飾りが付いているから面白い。もこもこの服を着たサンタクロースは、熱中症になりそうだ。
 真夏のように暑い機構と、すっかり冬の装いに飾られた街。
 わたしの中でこの国のクリスマスの思い出には、常にこの不思議さがつきまとっている。

 クリスマスの目玉と言えば、町で催されるパレードだ。
 地元の小学校の子どもたちや有志の町民たちが、カロッサと呼ばれるクリスマス飾りのたくさん付いた小さな車に乗り、隊列を組んで大音量でバンドを演奏しながら町じゅうを巡っていく。
 ペレス・セレドンでも大々的に行われ、わたしもモルフォの友達の家の庭先でチキンを頬張りながら見物したが、もっと思い出に残っているのが、その少し前に南部のパナマ国境の町サン・ビトで見たパレードだった。
 サン・ビトに行ったのは、モルフォと長年仲良くしている現地の障がい者団体の主催する会合に参加するためだった。
 モルフォのコーディネーターカテリンが自分が抜けることでわたしを参加させてくれたらしい。

 夕方から始まるはずがなかなかやってこないパレードを、結局2時間近く、埃っぽい道端に座り込んでみんなで待った。
 サン・ビトの名産だという美味しいコーヒーを飲み、ハムとチーズのピザに舌鼓を打つ。
 モルフォのスタッフのデレと2人、スペイン語と日本語の早口言葉対決をしてげらげら笑った。
 デレは優しくてよく笑い、道で迷子になっている犬や猫をすぐ手懐ける才能を持っている。一緒にいるとすごく心が休まる、わたしがたぶんモルフォの中で一番好きなスタッフだ。
 ちなみに、このとき教えてもらったスペイン語の早口言葉はこんな感じだ。皆さんは言えるだろうか?
「トゥレス トゥリステス ティグレス コメン トゥリゴ エン トゥリガル(3匹の悲しいトラが麦畑で麦を食べる)」
 「パンチャ プランチャ コン クアトロ プランチャス。コン クアントス プランチャス プランチャ パンチャ?(パンチャは4つのアイロンでアイロン掛けをする。パンチャはいくつのアイロンでアイロン掛けをする?)」
 その場には、炙った牛肉を串に刺して売っている人や、わたしたちのように地面に座っているパレードの見物客を狙って小さな椅子を売り歩いている人の賑やかな呼び声が、道いっぱいに響いていた。 
 どうということもない、暇を絵に書いたような時間だったけど、不思議と強く印象に残っている。
 やがて遠くから、かわいらしい鉄琴の音で、スペイン語圏のクリスマスソングの定番、「フェリス・ナヴィダ(Feliz Navidad)」の明るいメロディが聞こえてきた。ミニスカートをはいてサンタのコスプレをした女の子たちが、演奏しながら練り歩いているのだった。行列は長く続き、その中にはいつのまにかサンタに扮してカロッサに乗り込んだ、障がい者団体の代表、車椅子ユーザーのフランシーニの姿もあった。わたしはカロッサの一つに近づいて、屋根に乗っている飼葉桶の中で眠るイエスキリストの人形を触らせてもらうこともできた。

 イブの夜は、それはそれは賑やかだった。
 わたしのホームステイ先には、普段サンホセに住んでいる息子さんもガールフレンドを連れて帰省してきて、エディスの4人の子供たちとその家族が勢ぞろいした。普段広すぎるぐらいの家の中は、笑い声と子どもの駆け回る足音でいっぱいになった。
 ちなみにわたしはエディスのことを初めにおばあちゃんと書いたが、彼女は現在たったの62歳である。
 それでいてすでに5人も孫がいて、一番年上の女の子がわたしと同じ22歳。
 わたしは3人兄弟の年の離れた末っ子だけど、それにしても世代が1つずれているというのは衝撃的だった。
 コスタリカでも最近は晩婚化が進んできている一方、10代の学生のうちに子供を生む女性もまだまだ珍しくないようで、エディスの三女のガブリエラも16歳で最初の男の子を生み、エディスが面倒をみたのだとか。
 日が落ちると、広い庭にテーブルを出して、パーティーが始まった。
 わたしはエディスがプレゼントしてくれた黒いラメ入りのパーティードレスで参戦した。日本人がお正月に晴れ着を着るように、みんなこの日のためにちょっといつもよりいい服を着ていた。
 柔らかく煮込んだ豚のもも肉にホワイトソースとキノコを乗せ、マッシュポテトと野菜サラダを添えて食べるのが、伝統的なクリスマスディナーである。よく食べるのはわたしの取り柄。全部一通りお変わりすると、みんな喜んでくれた。
 そのあとはみんなでゲーム&プレゼント交換。その頃には親戚やその友達も次々にやってきて、パーティーの参加者は25人に上っていた。夜7時頃から始まったパーティーは、お酒が入ってさらに盛り上がり、わたしは途中で引き揚げたけれど、結局朝1時頃まで続いていたと後から聞いた。
 今日であれから丸々2年。
 デレにもエディスにもメリークリスマスのメッセージを送っておいた。

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