幸運の町でカカオ豆と戯れる(コスタリカ種蒔日記)
「今週末、私の両親が持ってる田舎の別荘に行かない?」
ハウスメイトのリーダー、ジネットの誘いに、私は一も二もなく飛びついた。コス
タリカには、別荘を持っている人が結構いる。別荘と言っても、最低限寝泊りができ
る程度の小さな家だ。たいてい、フィンカと呼ばれる農場とセットになっている。ふ
だん都会に住んでいる人でも、週末はそこでのんびり田舎暮らしを楽しむのだ。
はたしてジネットとその恋人のカテリン、彼女らの犬3匹との楽しい旅行が実現し
た。
ジネットの両親の別荘があるのは、この国有数の観光地ラ・フォルトゥナ。「幸運
」の名を持つこの町は、わたしがずっと行ってみたかったところだ。
ジネットの両親のフィンカはどこまでものどかだった。オレンジやレモン、アボカ
ドなど食べられる果物の木が、小さな森を成していた。近くの草地には3頭の牛がい
て、塩を掌に盛って差し出すと、近寄ってきてペロペロ舐めてくれる。竹そっくりの
サトウキビを包丁で切り取って皮をむき、陽だまりのベンチに寝転がってその甘い汁
を舐めることもできた。
別荘は1階がバスルームや物置、2階がダイニングになっていた。ダイニングの窓は
常に開け放たれ、鳥の声が日の光のように降り注ぐ。窓の向こうにはアレナル火山が
くっきり見える、とこれはジネットたちからの情報。アレナル火山は富士山のように
きれいな円錐形をした、この町のシンボルだ。
朝、トースターがないのでフライパンで食パンを焼き、コーヒーを入れた。フィン
カの森から取ってきたオレンジを絞ったら、お砂糖がいらないほど甘いジュースにな
った。この辺りは標高が高いので、晴れていても驚くほどさわやかな風が吹き込んで
くる。「冷めちゃう冷めちゃう。早く食べよう」と、朝ご飯を体でかばって笑い合っ
た。
この旅行で忘れられないことといえば、生まれて初めてカカオ豆からチョコレート
を作ったことだ。ファミリービジネスとして自分たちのフィンカでチョコレートを作
っている人たちが、その工程を観光客に体験させてくれる「チョコレートツアー」な
るものをやっていたのだ。その情報をネットで見つけたわたしが、大興奮してジネッ
トたちを引っ張り込んだ。こんな経験、日本ではなかなかできない。
「あ、ラグビーボール」
カカオの身を持たせてもらったとき、真っ先にそう思った。大きさも形も、ついで
に固さも、ちょうどそれぐらいなのだ。その実を半分に切ると、大人の親指ぐらいの
大きさのカカオ豆がいくつも、果肉のベッドにうずもれている。一つ取って口に含む
と、豆に張り付いた果肉はほんのり甘かった。
この果肉を剥がした後の豆を、数日かけて発酵させ、また同じぐらいの時間をかけ
て乾燥させることからチョコレート作りは始まるそうだ。発酵途中の豆は、湿った土
のような香りがした。対して乾燥途中の豆はすごく香ばしい、お日さまの香りだ。水
分が抜けて軽くなっていた。
コスタリカの先住民に伝わる伝統的な製法に従って、この豆を手回しの機械で砕く
。機械の器部分に豆を入れ、脇のハンドルを回すと、器の底に付いている刃がガリガ
リと小気味よい音をたてて豆を削る。ちょうど、かき氷機の要領だ。他にやりたい人
がいなかったらいつまでもかじりついてしまうほど、私はこのハンドル回しが大好き
だった。
砕いた豆から薄皮を取り除いたら、最後にそれをまな板の上に広げ、熱した太い石
の棒を両手でゴロゴロと転がしてすりつぶしていく。すると豆の脂分が染み出し、ね
っとりしたカカオ100パーセントのチョコレートペーストができあがるのだ。
そこにお湯を注ぎ、まずは砂糖もミルクも入れずに飲んでみろと言われた。ブラッ
クチョコレートは嫌いじゃないし、そんなにまずいはずがない。それなのに必要以上
にしり込みしたのは、それを薦めてくれたおじさんが、「カカオって、カカ(スペイ
ン語でうんちのこと)からきてるんだぞ。何も入れない状態のカカオがあまりにまず
いから、スペイン人たちがそう呼んだんだ」なんて言ったせいだ。真偽のほどはわからない。嘘だとしたら人の食欲を削ぐ悪い冗談だし、本当だとしたらカカオを神様とつながる神聖な物として飲んでいた昔の先住民の人たちに対して失礼なことこの上ない。
心を決めて、一口すする。舌にまとわりつく苦みの中にも十分なこくがある。決し
て万人受けする味ではないけれど、飲みこんだそばから血液がさらさらになっていく
ようなこの感じは、メキャベツやレバーに通じるものがあるかもしれない。
その場には砂糖やミルク、バニラエッセンスなどカカオをおいしく飲むためのアイ
テムもたくさん用意されていたけれど、私はなんだか味付けするのがもったいない気
がして、苦くて濃厚なブラックカカオをいつまでもちびちびやっていた。