人生初の果樹園暮らし(コスタリカ種蒔日記)
「オッラー!」
門の前に立った途端、おおらかを絵に描いたようなおばあちゃんが出てきて、わたしをぎゅっとハグしてくれた。わたしがコスタリカでママと呼ぶことになるたった1人の人、エディスだ。モルフォのオフィスの来客用の個室で寝泊りすること数日、ついにホームステイ先への引っ越しが完了した。
エディスと旦那さんのアルベルト、次女のスサナ、そして犬のルーカスと猫のコカ。この3人プラス2匹が、わたしの新しい家族である。わたしが来る直前までは、JICAの青年海外協力隊員の人が2年間住んでいた。スサナ以外の3人の子どもたちが独立して家を出たので、たくさん部屋が余ってしまい、留学生を受け入れることにしたのだそうだ。
外国のお家でホームステイをする。それはわたしが小さい頃から憧れていたことだった。外国の家族と一緒にお出かけしたり、ご飯を食べたり、パーティーしたり…。それこそが留学の醍醐味、というイメージがわたしの中にはあった。
でもまさか、こんなところで暮らせるなんて!これから暮らす家の庭をエディスに案内してもらいながら、わたしは文字通り狂気乱舞した。一面ふかふかした芝生の広がる中に、食べられる果物の木がたくさん植わっていたのだ。
「これはレモン。隣はオレンジだよ」
「こっちはアボカド」
「これはマンゴね。まだ熟れてないけど、5月頃になれば食べられるよ」
まるで果樹園だ。アボカドは意外と華奢で、高くなるというより横に広がるタイプの木だ。あの重い実を支えるには少々細すぎるようにも思える枝が四方に伸び、ちょっと堅くて乾いた感触の葉っぱが小さな木陰を作っている。一方マンゴはがっしりした幹が下の方からいくつも又に別れていて、木登りにうってつけに見えた。フルーツ自体はよく食べるのに、木を見るのは初めてというものばかりだった。
日本では馴染のないミズリンゴという果物が熟れていたので、もぎたてを軽く洗って食べてみた。大きさはこぶし大で、ころんと長丸い。名前の通りジューシーだが、リンゴほどシャキシャキはしていなくて、薄味。見た目も触感も味も、なんとなくびわに似ていた。
この家の朝は10種類近い小鳥の声が織りなすコーラスと、そのすべてをかき消すけたたましい雄鶏の時の声で始まる。近所には鶏を飼っている農家がたくさんあって、朝まで待ちきれないのかたまに夜中の2時や3時にも声が聞えてきたりする。エディスとわたしは休日になるとよく近くの直売所にとれたての卵を買いに行った。大きいものだと1パック30個入りで売っている。また毎週日曜日になると、日本の石焼き芋や豆腐さながらに卵を売る車が走っている。「新鮮なー、卵ー、新鮮なー、卵ー」という呼び声に心惹かれて、わたしは「買いにいこうよ!」とエディスを説得したのだが、エディスは本当に地元産で新鮮かどうか信用できないから買わないと言っていた。
家のすぐ向かいには、地元の人たちにアメリカーナと呼ばれる、アメリカの古着を売る小さな店があって、じきにそこを物色する楽しみも覚えた。大して使用感があるわけでもないワンピースやブラウスが、1着5000コロン(約1000円)ぐらいで買えるのだ。これが特売期間に入るとさらに、1着1000コロン(約200円)という、あってないような値段になる。わたしはむやみに新品の服を買うことには抵抗があるのだけど、古着なら罪悪感も少ない。それに、日本で普段自分が買い物するときにはなかなかお目にかかれないような、 極端にセクシーなワンピースとかド派手なスパンコールが一面に付いたパーティードレスなんかがあるのも面白くて、この店にいると時間を忘れた。
それから数カ月、この家を拠点にわたしは少しずつコスタリカの暮らしを知っていくことになる。 海外で暮らすとき、学校の寮に入ったりアパートを借りたりいろいろな選択肢があって、それぞれにメリットがあるとは思うのだが、ことコスタリカ留学に関してはわたしはホームステイを強くおすすめしたい。家族のつながりが強く、休みの日も家族単位で行動することが多いので、ホームステイをしてそこに混ぜてもらうのはすごく勉強になるし、とりあえず淋しい思いもせずに済むからだ。コスタリカ生活の最初の時期にこの家で暮らせたわたしは本当にラッキーだったと思う。