新生活前夜のドタバタ騒ぎ(コスタリカ種蒔日記)

年が明けた1月中旬から、私の留学のセカンドステージが始まった。国連開発計画
(UNDP)コスタリカオフィスでのインターンだ。

インターンが始まったのは、1月16日。

しかし、それまでの数週間がもうてんやわんやだった。なにしろ、その日付が私の手
元にある唯一の情報だったのだ。

働く期間はどれぐらいなのか?
どんな仕事をするのか?
住む場所は用意してもらえるのか?

そういう大事な事が、直前まで何一つわからなかった。

そもそも、インターン受け入れ決定のメールが正式に届いたのが、なんと12月30日。
私がグアナカステでのんびりワインなど飲んでいた頃だ。そこでようやく、受け入れ
期間は6月末までの半年間であることがわかった。

やっと向こうの担当者と直接話せたときには、インターン開始日まで2週間を切って
いた。

そしてその電話であっさり言い渡された。

「住むところは自分で見つけてください」

ちょっと待て!そうならそうと、もっと早く教えてよ!

ううん、本当はうすうす気づいていた。こんなに直前になるまで連絡が取れないとい
うことは、あまり優しくないか、気持はあったとしても何かしらの事情できめこまや
かな心づかいはしてくれないところなんだと。

その印象は、話をするうちにますます強くなっていった。たとえば、オフィスへの行
き方を尋ねたときのこと。

私 「わかりやすい目印はありますか?」
相手 「電車の駅が近くにあります」
私 「そうなんですね!ちなみに駅の名前はなんですか?」
相手 「名前なんて知らないわ」

これをどう考えればいいのか。私の知る限り、電車の駅というのは複数ある。そし
て、一つ一つに名前がついている。名前を知らずに駅を特定するのはなかなか難しい
はずだ。

それとも彼女の周りでは、「電車の駅」といえば他に迷う余地のない1択なのだろう
か?もちろん、それもあり得る。私が知っているのは日本のことで、なんといっても
ここはコスタリカだから。

しかし、だとしても取りつく島もない答えだ。そもそも教えてくれようという気がな
いように、私には感じられてしまった。少し気が重い。

何はともあれ、大急ぎで新しい家を探さなければならない。でも、私は2カ月前に
やってきた外国人の身だ。これから住む首都サンホセの土地感もなく、知り合いもい
ない。コスタリカの物件事情なんてわかる訳がない。できることといえば、モルフォ
のみんなやホストファミリーに泣きついて、とにかく情報を集めてもらうことだけ
だ。

こんなことでインターンなんて始められるのかな?たとえうまく家が見つかったとこ
ろで、引っ越すための手続きだっているだろうに。もし予定通り始められなくても、
悪いのは早く情報をくれない向うの方だ。でもそれを言って何になる?いや、まあ
きっとなんとかなるさ!…いろんな思いが頭をめぐる。こんなとき頼りになる、モル
フォの日本人のプロジェクトマネージャーたけしさんは、ちょうどそのタイミングで
日本に一時帰国していた。正真正銘、ピンチである。

私のお願いに答えて、みんながそれぞれ友達に聴き回ってくれた。少なくとも表面上
は、焦っている素振をちっとも見せない。こんな風にぎりぎりまで情報がないのは、
珍しいことじゃないらしい。

はたして、家は見つかった。インターン先までタクシーで10分のシェアハウス。「私
の友達の息子が住んでいるところよ」とウェンディが教えてくれた。

早速、そのシェアハウスの住人を取りまとめているおばさんに電話をかける。ここで
断られたら、次またいい家が見つかる可能性は低い。全盲であること、介助者がしば
らく一緒に生活することなど、とりあえずネックになりそうなことを先手を打つ勢い
で並べ立て、「何か問題ありますか?」と前のめりに尋ねた。

すると、「あなたのことは聞いています。ここに住むことは問題ないよ。細かいこと
は実際に会ってから話し合いましょう」。柔らかい答えが返ってきた。ほっとして、
膝から崩れ落ちそうになった。

このときほど、「人伝」の威力を感じたことはない。留学前たけしさんが、「とりあ
えずコスタリカに来て、必要な情報はその後現地で集めればいい」と言った意味がよ
くわかった。この国で生きるいちばんの秘訣は、とにかく一刻も早く現地に行くこ
と。そして、1人でも多く友達を作ることだ。正式な方法で真正面からぶつかって
行っても-たとえば公の機関に問い合わせるとか-なかなかうまくいかないことが、共
通の知り合いを介すればあっけないほど簡単に進んだりする。

話はそれるが、人伝のパワーを感じたことが前にもあった。インターン先に求められ
て、ペレス・セレドンの病院で健康診断を受けたときのこと。モルフォのスタッフの
一人がそこのお医者さんのいとこだというだけで、なんと診察代が安くなった。

また、ホストファミリーとホテルのプールに遊びに行って、メンバーカードを持って
いる彼らの知り合いということで、私まで入場無料になったこともある。ほっこりす
るといえばほっこりする、いい加減といえば何ともいい加減な話だが、なんにせよ家
探しのときは本当に本当に助かった。

ホストファミリーにモルフォのみんな、語学学校の先生。こちらにきてたった2ヶ月
半で、気づけばこの町にたくさんの心許せる人たちができていて、その全員が私のド
タバタぶりを気にかけてくれていた。特にホストマザーのエディスは、夜ご飯時に顔
を合わせる度に、「それでサンホセ行きはどうなったの?何かわかった?」と心配し
てくれていた。そんなみんなに「半年後に絶対戻って来るから」と約束し、私は介助
者のレベッカと共に慌ただしくペレス・セレドンを後にした。

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