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はじめての西洋美術 印象派 01

 こんにちは!ちょうど田植えの時期で、毎晩かえるの合唱が鳴り響いています🐸

 さて、西洋美術第一回として、自分が一番魅力的に感じる「印象派」から始めていきたいと思います!

 「印象派」は美術史にある、さまざまな様式区分の中でも、日本で最も高い人気を誇っています。モネ、ルノワール、ドガ、ピサロなど現代においても人気の高い画家たちが名を連ねていますが、なんと活動を始めた当初は厳しい批判にさらされていたのです。


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↑エドガー・ドガ「リハーサル」1874年


 彼らが登場した19世紀後半のフランスでは、芸術家が唯一発表できる場が、国家主催の展示会「サロン」と呼ばれるもののみでした。この場では、審査基準も厳格なアカデミスムに沿っていたものであり、歴史画、神話画、肖像画等が主な注目の対象となっていました。


 この基準や制度に疑問を抱いた画家たちが集まり、独自の展覧会を開いたことがこの印象派のスタートとなりました。そのため、当時は社会秩序からはみだしたアウトロー集団だったのです。

 そんな印象派の先駆者となったのがマネという画家です。え、だれ?と思いますが、それもそのはず、マネはあくまでもサロンでの評価にこだわっていたために印象派とは距離をおいていました。しかし、今後印象派を作り出す人々からの尊敬され、指導者的な役割を果たしていました。

 印象派の展示会は1874-1886年の間に計8回開催されていましたが、マネは1860年代にいち早くアカデミスムに対抗する革新的な作品を発表しました。その筆頭で、大スキャンダルを起こした「草上の昼食」がこちら。↓

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 ラファエロの版画「パリスの審判」を基にした古典的な構図を用いた作品ですが、当世風の男性の装いに対し、裸婦の女性を描かれたことが大問題となった。なぜならこれは明らかに娼婦を連れてピクニックをする当時の遊びを想像させ、さらに裸体像は宗教画と神話画のみにおいて描くという暗黙のルールを破ってみせたのです。

 当然、風紀に反すると大批判されましたが、主題に対するタブーを無くし、自由なテーマで描く姿勢は、印象派の画家たちに大きな衝撃を与えました。その後もマネと印象派は古典的な宗教画や歴史画ではなく、カフェやオペラ座、屋外でのレジャーといった、当時急速に発達した都市生活に主題を見出していくようになりました。

 さらにモネは、いち早くジャポニズムを取り入れ、表現力にも革新をもたらしたり、明瞭な色彩や背景の単純化など、次々に新しい手法を取り入れ、印象派だけでなく、20世紀の画家たちにも影響を与えています。

今回は以上です。
次回からは印象派の有名画家をクローズアップしてまとめていきます。
ではまた〜!!


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