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イッタラ村に輝く宝石




今や世界中で輝くガラスの宝石たちは、たしかにこの小さな村で、そして人の手によってつくられていた。

『TRANSIT58号 春夏秋冬フィンランドに恋して』
lumikka担当記事の本文より


TRANSIT58号 フィンランド特集。私たちlumikkaは、取材記事「北の地に生るデザイン」を担当しています。本記事には美術館や工房への訪問、建築家やデザイナーへのインタビューなど、デザインをめぐる旅の様子が綴られています。

今回のコラムからは、記事に掲載しきれなかった取材の溢れ話や旅の記録をじっくりとご紹介していこうと思います。ぜひ、TRANSITの記事と合わせてご覧ください。


今回は、フィンランドを代表するデザインブランドIittala / イッタラのはじまりの場所、イッタラ村の工房への旅の記録をお届けします。




イッタラについて


フィンランドのイッタラ村で創業したイッタラ。はじまりは1881年。まだ「フィンランド」というひとつの国ではなかった頃のことです。1917年の独立(建国)やその後の戦争・欠乏の時代を国民と共に経験したこのブランドが、どれほどの苦難を乗り越えてきたのか、そしてフィンランドにとってどれほど大切な存在なのか、想像することはそう難しくありません。


イッタラというブランドの最大の功績は、美しいプロダクト(時にはアートピースも)を手の届くほどの値段で、大量に生産したことだと思っています。たとえ良質な製品であっても、値段が高すぎては国民に受け入れられなかっただろうし、数が少なかったらそれもまた人々を満足させることはできません。イッタラがいまも変わらず愛されるわけは、「権威的にならずに、国民の視点でものづくりをつづけてきたこと」だと言えるでしょう。


すべてはこの小さな村から。
そしてその“かがやき”は、いまもここで。人の手で。

イッタラ駅




イッタラ工房へ


ヘルシンキから2時間弱。無人駅を降りて、黄色く染まった木々の間を通り抜けて。

工房へと向かう道


道端に立てられた案内


しばらく歩くと、三角屋根のかわいらしい建物が見えてきます。天気はあいにくの雨。平日ということもあり、工房への訪問客は他に見当たりませんでした。

赤い三角屋根


正面にまわると、見慣れた赤いマークと「1881」の文字が。さらに奥にある工房へ向かいます。

見慣れた赤いマーク


工房の見学用エントランス


扉を開けるや否や、耳に鳴り響く機械音。赤い階段をゆっくりとのぼる。徐々に大きくなる音と、たしかに肌をあたためる工房の熱気。

ああ、たしかにここで、ここで「宝石」がつくられているのだ。と、あらためて感じました。

工房へとつづく階段

















そこには、息を呑むような空間が広がっていました。

工房というより、まるで演出された舞台のようで、大きな釜から取り出された赤い熱球は人から人へ渡ってゆき、瞬く間にアアルトベースがかたちづくられます。時に真剣なまなざしで、時に談笑もしながら。穏やかで、程よく緊張した空気感がとても心地かったことを覚えています。

混沌とした美しさ


工房はまるで舞台のよう



イッタラ“村”とあるように、工房の周囲には他にもさまざまな施設が立ち並びます。

IITTALA VILLAGEの看板


イッタラのヴィンテージショップ


休業日でした。。。


イッタラのアウトレット


アウトレットの中の様子


製造についての展示も少々


「ウルティマ ツーレ」シリーズの金型


アアルトベースの金型


イッタラ村


カラフルな小屋と紅葉、リス


イッタラデザインミュージアム


個人経営の小さなショップ


アートギャラリー


ご覧の通り、工房の周りには豊かな自然や文化的な施設が点在していて、村のひとつの拠点となっていることがわかります。大量生産を主とする世界的なブランドが、経済的な理由で土地の安い国・地域に進出するという話はどの分野でもよくありますが、イッタラ村はそのような場所ではありません。むしろ、はじまりの場所なのです。


とはいえ、いまでも苦難は続いています。ここ数年で親会社(+それに伴う経営方針)が変わったりと、ブランドの存続も確約されているわけではありません。

しかし、それでも当時の技術がきちんと継承されていることは何よりも素晴らしいことで、それを可能としているのは紛れもなくここで働く「人」たちです。


この村の美しい風景が、ずっと続いてゆくことを願うばかりです。

駅のロータリー
帰るころには雨が止んでいた。




lumikka

Instagram:@lumikka_official
Online shop:lumikka shop


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