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キーウから遠く離れて
さだまさしが好きな理由…その一つが
「大きな流れ」を保つ人だから、というのがあるだろうか。
「キーウから遠く離れて」は、彼の最新アルバム「孤悲」(こい)の代表曲。
二年間ほど作曲を行うことが出来ずにいた彼が、ウクライナ侵攻での出来事を切っ掛けとして、再び楽曲製作を始め、精力的に作り上げたアルバムだと言う。
ウクライナに侵攻してきたロシア兵に向かい、老婆が言う。
「ポケットにヒマワリの種を入れておきなさい…そうすれば、あなたが斃れた後に咲くヒマワリを、私が眺めてあげるから」
…これを辛辣と見る向きもあるだろう。
だが、祖国に暴力で踏み入る隣国の兵への罵倒としては、それはあまりにも清く悲しい。
この言葉の裏には、花畑が広がる大地と、そこで暮らす人々の「平和の暮らし」というものがある。
ネットを見ていると、SNSやコメントなどには、日本も軍備拡張を行うべきとか、核を所持すべきとか、法律を改正すべきとかの文字が並んでいる。
彼等の意見は大方似通っていて、他国が一方的に攻め込んできたらどうするのか、否、防ぐなどではなく、むしろ矛先は敵対国に常時向けられるべきである、という「専守防衛から積極防衛(おかしな言葉だが)」への舵切りを切望しているようだ。
ここでは、論をどうこうと言う気はない。
ただ、この一曲で歌い上げている
「戦火から生まれるのは戦火だけ」
…という主張は、さだが「防人の詩」や、その他の反戦歌から感じられるものと、全くの違いが無いことを、ここで書いておきたいだけだ。
…いや、反戦歌だけではない。
「たいせつなひと」という曲の中でも、さだは、人と人とは愛情を通じてのみ理解しあえることを説いている。
現実という言葉が軽々しいと思わないか?。
人間という存在が、あまりに軽薄であると思っていないか?。
…我々が今、自分自身に強く問うていかねばいけないのは、きっとその事だと思う。