結局は立花もオールドメディアも一緒
MBSの百条委員会デマについては奥谷委員長が否定する中,頑なにMBSは訂正に応じないようです.
「裏を取る」というのに決まった定義はありません.2つの情報源から同じ内容の確認を取るだけでも「裏を取る」と言う人がいてもおかしくはない.実際のところ今回の立花デマがそうではないかと思いますが,この2つの情報源が取材者の知り得ぬところで同じ1つの情報源から情報をもらっていたとすれば,全く同じ内容が流れてくることになります.報道に限らず情報というのは常にそういった性質を持ちます.どこまで追求しても誤報をゼロにすることはできない.ただし,確認する独立した情報源の数を増やせば増やすほどそういうった間違いは確率的には減っていくことは確かです.おそらく週刊誌と新聞の違いはそこにあって,週刊誌は裏取りのレベルが低いので,誤報率が高く,裁判でも敗訴する例が散見されます.
取材源の秘匿の原則もこの裏取りには悪影響となります.情報源について異なった視点からのピアレビューが働かないために,実は同じ情報源から情報をもらっているのではないかといった批判的視点が抜け落ちがちになります.メディアは常に「取材源の秘匿は報道機関の倫理」と説きますが,それは誤報(デマ)確率を高める両刃の剣です.
立花にしてもMBSにしても情報発信をする人には常にバイアスがかかります.人は物語を好む生物であり,バイアスをゼロにすることはできません.ただ,組織内に異なった価値観や立場の人間がいて,対等に議論することができればバイアスを減らすことができます.
本来「信頼される」メディアに求められるのは会社内に右派から左派まで多様な考えかたの人がいることですが,昨今の党派性対立が深刻化する中でメディアの内部自体が同じ考えの人で凝り固まってきているのかもしれません.特にSNS対オールドメディアといった,メディア自身が問題の当事者であるとき,そのバイアスはどうしても大きく訂正が難しいものになってしまいます.MBSが公式情報が出てもなお報道を修正しないのは,社内でのバイアスがそれほど大きくなっていることを示唆していると思います.
今回の件でもよく分かりましたが,バイアスや誤報を免れないという点では本質的には立花もオールドメディアも同じであり,SNSだけでなくオールドメディアの情報もある程度疑ってかかった方がよい時代に突入したということです.
こういう時代に大事なことは常にいろいろな可能性を想定することです.そして安易に断定しないことでしょうか.「根拠なく情報を流すことはやめましょう」と兵庫県警は説きますが,断定をしないのであれば可能性に関していろいろな情報を考えて流すことは私は悪いこととは思いません.はじめから可能性を否定してしまうこともまたバイアスを招きます.科学の世界では無難な仮説から可能性は低いけど革新的な仮説まで,いろいろな可能性を考えて,それを一つ一つ潰していくことで最も確からしいと思われる答えを導きます.仮説情報を仮説と断ったうえで広く流し,反論を惹起することも広い意味では社会全体でピアレビューをやっていることになります.実際のところ名誉毀損がどのように判定されているか,法律家ではないので分かりませんが,仮説や可能性を提唱する行為自体に違法性が生じるなら社会全体のメディアリテラシーを下げることにつながり,「日本の法律の方が時代に合わなくなっている」と私は思います.
誰か一つのメディアを信頼して良い時代はもうとっくに終わっている.「お上」や「権威」に従っていればよい時代のほうが楽だったかもしれませんね.