現実と仮想がミックスした世界を描く映画「ピエロがお前を嘲笑う(Who Am I)」
アマプラ対象作品で、以前観た記憶があったのですが結末を思い出せずに再見。ハッキングで殺人の容疑までかけられた男の、自供に基づいた人生を描く「ピエロがお前を嘲笑う」。公開が2015年のドイツ映画です。
警察に出頭しユーロポールの捜査官ハンネを呼ぶベンヤミン。彼はハッカー集団CLAYの一員であり、別のハッカー集団の争いに巻き込まれ殺人容疑をかけられた上に命を狙われているとハンネに告白する。彼はなぜハッカーになったのか、そしてなぜ命を狙われるに至ったのか。彼の自白は真実なのか、ハンネとベンヤミンの密室のやりとりがスタートする。
ドイツ映画で効果は2015年。とすると6年以上公開から時間が経過することになっているが、ネット世界はさらに混迷を極め、私たちの情報が常に危険に晒されていると言う事実は変わっていない。その中で起こる、予想もつかない犯罪手口と、そこに群がるネット民たち。映画自体は二転三転する結末に大いに翻弄され楽しむべきではあるが、ヒーローに憧れ特定の世界で頂点を極めたいという少年の野望は今も昔もとんでもない熱量を生むものだと思う。
冴えない主人公がヒーローになれる世界
ベンヤミンは祖母に育てられ、同級生の記憶にも残らないような地味で退屈な人生を送っていた。憧れるのはスーパーヒーロー。ただ自分には遠い世界のこと。そんなふうに思っていた彼に、思ってもみない転機が訪れる。
中学時代に好きだったマリと再会し、彼女のヒーローになりたい一心で踏み入れたサイバー犯罪でいきなり失敗。奉仕活動の最中に出会ったマックスにハッキングの腕を買われ、ハッカー集団の仲間入りをする。
共に活動するのはシュテファンとパウル。誰もが現実世界でヒーローになり損ねた一癖も二癖もある奴らばかり。
格好いい名前が必要だ、とのマックスの提案にベンヤミンが出したのは
「ピエロがお前を嘲笑っている、Clowns Laughing At You」でCLAY。
それから犯罪集団CLAYは、ピエロのマスクをし、次々と目立つような企業や金融会社を付け狙っては嘲笑うようなイタズラを仕掛けた。
監督も言っているが、何となくサイバー犯罪というと薄暗い部屋で1人パソコンに向かい、キーを叩いて全てを完結させているようなイメージだったのだが、そこにはちゃんと「仕掛ける」という行動がある。それが彼らが集団で動く理由でもある。
チームは入念に調べた上でターゲットの会社に出向き、用意した罠を仕掛けてから計画を実行する。セキュリティが一番脆弱であるのは「人間」。人がやることにこそ穴がある。そこをついて嘲笑って楽しむ。
そんなふうにイタズラ心で盛り上がっているうちはまだ良かった。
仮想世界は地下深くに
どこにでもトップはあるもので、ハッカーの世界では「MRX」と名乗るハッカーが今は最強と言われていた。ダークウェブの世界を自由に泳ぎ回るMRX。マックスが目指していたのはまさしくここで、犯罪集団CLAYを彼に認めさせることが目標だった。
ところがイタズラ程度で世間を騒がせているCLAYに彼は目もくれない。認めてほしい一心でCLAYはターゲットをどんどん大物に変えていくがその最中に今度は自分たちが罠にはまり、実際の殺人事件の容疑者となってしまう。
ハッカーたちのやりとりは、ダークウェブの世界を地下鉄の車両に模して表現。そこで通りすがる人たちは誰もが仮面を被り、ネット上のネームでやりとりをしている。
この辺りで仮想空間と現実世界との境目がだんだんと薄まっていくような感覚に陥る。今や仮想空間はもっと精密に現実世界に侵食するようになってきた。
仮想空間と現実世界、二つの人生を混同してしまう人たちも今後出るのかもしれない。辛い現実を逃避する世界だったはずが、どちらにも救いがない、などの弊害も生まれる可能性がある。
仮想空間ばかりに没頭するな
ここには絶対的ヒーローがいる。CLAYたちが憧れ認めさせたいと願う天才ハッカーMRX。彼は主にSNSなどへの侵入を行なっていてそれ以外には興味がないとされている。
彼の名言はハッカーの間では有名だ。
1.安全なシステムはない 2.不可能に挑め 3.サイバー世界と現実世界を楽しめ
文字通り、仮想世界ばかりに生きて没頭するのではない。現実世界をちゃんと見てこそ仮想世界に楽しみがある。
ただ現実世界は辛いことが多すぎた。ベンヤミンは学生の頃から自分は透明人間だと思っていて、母親は自殺、父親は蒸発し、残された祖母は痴呆の症状が出始めるなど、思い描いている理想とは程遠い。いや、ベンヤミンは理想を描く余裕すらなかったのではないのか。
彼が祖母の痴呆の診断を下す医師の話を聞いている部屋で、背後にかかる絵が暗示のような構図になっている。背中を見せているそっくりの人間が2人、ずらすように配置されたその絵は、彼の家族が終焉に向かっていることを告知されている彼の心情を表しているように思う。
唯一の家族を失う時がくる。その絶望が彼の心を蝕み現実と仮想が乖離していく。彼に残るのは初めて才能を開花させられたハッキングという世界だけ。その場所にしか彼は居場所を見つけられない。
この象徴的な構図は、後にも薬を服用し酒を飲んで踊り狂った彼自身の姿を使って再現されている。その前後で彼はどう変化していくのか。ぜひ本編で楽しんでほしい。
現実世界をどう泳ぐのか
劇中では二転三転とするトリックが私たちを嘲笑ってくる。
全ての始まりは最初にベンヤミンがハンネに見せた「トリック」
手のひらに角砂糖がある。一つの角砂糖は四つに増え、手のひらを移動する間にそのうちの三つが消えて一つになる。そしてもう一度帰ってきた手のひらには、また四つに戻っている。
タネは簡単。人は見たいものだけを見る。仕掛ける側は見せたいものに視線を引きつけておく。
騙し騙される間には、用意周到に仕掛けられた罠があり、その罠のトリックを見破ったものだけが真実全体を見渡すことができる。
世の中はトリックに張り巡らされている。私たちは見せたいものだけを見せられ、見たいものだけを見るように作られている。ネットにおいてはそれは顕著で、視線を外して全体を見渡すことなど現実世界では到底無理なことのように思える。
ならば、両方を楽しめばいい。何事にも表と裏があり、表面と底辺がある。奥深く注意深く隠されているそれらを見られないうちは、騙され踊らされる側に回るだけである。
この映画で見事にトリックにハマった私たちはその他大勢であることを思い知らされた。
さて、ここからどうしていけばいいのか。ネット世界にウヨウヨと張り巡らされている「トリック」。それら一つ一つを現実世界に照らし出して見極めていくしか、今のところ方法はないように思う。
※写真は公式HPにてお借りしました
↓アマプラにて観られます
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