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えべっさんはマレビト

えべっさんというのは、マレビトです。
マレビトとは民俗学者の折口信夫の命名で、里や村に稀にやって来るストレンジャーのことで、それは姿を変えた神さんであるとされている。折口信夫は、このストレンジャーをマレビトと呼んだ。

キリスト教やユダヤ教のような一神教では、ほとんどの神はホストの神であって、イエスもヤハウェも、天空や社会の中心に据えられている主人なので、その宗教を信じる人たちは、「主よ」と祈る。
日本は多神多仏の国で、世界の中心とされる須弥山のような山はない。神さんは、なんとなく、天上にいる。「上」と「神」の語源は同じだとする説もある。日本の神さんはどこからかやって来て、一定期間を過ぎると、またどこかへ行ってしまう。元の場所へ帰る。いわばゲスト。客神ですな。来訪神。マレビト。稀人。賓。ストレンジャー。

ちなみにヒンドゥーには、ヴィシュヌという神さんがいる。ブラフマーやシヴァと並ぶヒンドゥーの最高神のひとりで、世界を維持している神さんで、世界をあまねく照らすとされている。
ヴィシュヌが眠ると、世界は消滅する。でもそれは彼の一時的な睡眠によるもので、彼が目を覚ますと、世界は甦る。蘇るというか、再生される。
彼が目を閉じるとき、世界のあらゆるものが、彼のベッドである海に落ち込む。眠りの時間は覚醒の時間と同じ時間の長さで、彼が眠っている間は世界は海に溶け込み、朝になると、再び宇宙を創造する。
「生まれ変わり」や「再生」は日本古来からの重要な感性だが、案外、ヒンドゥーのヴィシュヌあたりにルーツがあるのかもしれない。そして、ヴィシュヌもべつに世界の中心的な存在ではない。

正月には、歳神さんが山から下り、里にやって来る。歳神さんを迎えるために門松を立て松飾りをし、火を使わないように「おせち」を年の暮れに用意する。「お年玉」は、歳神さんの魂を分け与えてもらうことで、その年の皆の無病息災を祈願するものだ。

平安前期あたりまでは、門松ではなくて、榊を飾って歳神さんをお迎えしていたそう。
パンデミックや旱魃が続いた平安の都で、これまでの榊ではなく、新しいものにすがりたくなる機運が高まり、松を信仰した。新しもの好きな人たちが、冬になっても枯れ落ちない針葉樹の力にすがった。

その年の無病息災を祈願するといえば、「万歳」もそう。
正月の祝福芸能やその演者のことを万歳と言うけれども、転じて長寿を祝う言葉でもあった。言葉であり、お年玉が魂そのものであるように、万歳もまた、年頭にあたって1年間の幸運を言祝ぐ役割を担ったマレビトに擬せられた。
その意味では、お年玉も万歳も、来訪神そのものと言えるのかもしれない。

そして歳神さんはまた山に帰っていく。そのように、客神が里や家にいるあいだを「松の内」という。
「松の内」が明けると、門松や松飾りなどを持ち寄って燃やす「どんど焼き」をおこなう。
歳神さんは、その煙に乗って、天上に帰っていく。

こうした客神の習俗は日々の生活に溢れていて、お座敷では客を上(神)座に座らせ、帰ればどんちゃん騒ぎがはじまる。大事なものはいったん神棚や仏壇にあげる。それが済めばすぐに下ろして、食べるなり使うなりする。
お盆にご先祖さんをお迎えし、お送りするのも、そう。客を迎える作法だ。
というわけで、客神・来訪神・マレビトだらけなのが日本の神さんだが、えべっさんも、そんな客神・来訪神のおひとり。
蛭子さん
戎さん
恵美須さん
恵比須さん
漢字表記というのはビックリするくらいこだわりなくテキトーに字が当てられることが多いので、どれが正解かなど分からない。全部正解。諸説ある。諸説あるけれども、エビスさんもしくはヒルコさんは、とりあえず、どっかからやって来た神さんだ。
イザナギとイザナミから最初に生まれた神さんが、手と足がない蛭(ヒル)の姿で生まれた不具の子で、葦船に乗せられオノコロ島から流されてしまったというのは、古事記に登場する有名なエピソードですな。
葦船に乗せられオノコロ島から流されてしまい、漂流神となったヒルコが波打ち際に辿り着き、えべっさんとなった。客神というか、漂流神。神さんといえども、流されたり漂ったりするのだ。

日本沿岸の各地域では、漂流物をエビス神として信仰したケースが多い。
ときおり浜に打ち上げられた鯨やサメなどを、神さんからの授かりものとして受け止める習わしが古くからあった。
エビス信仰に関しては、民俗学者の田中宣一が旺盛なフィールドワークで数多くの逸話を収集している。
ときおり浜に打ち上げられた鯨やサメなどを、神さんからの授かりものとして受け止める習わしは、古くからあった。
漁師の網や鈎針に魚以外のものがかかり、何度捨ててもまたかかるので不思議に思って持ち帰り大切にしておくと豊漁が続いた、以後、それをエビス神として祀っている。といった伝承も各地に存在している。
思いがけない獲物を皆で分け合い、いっときの「福」を得る。

そうした慣わしを下地として、福をもたらすというヒルコの福神伝承が、異族の異相の釣魚翁であるエビス(夷)と結びついたといわれている。
次第に漁撈や豊驍や商売のシンボルに転じて、鯛を釣りあげるえべっさんになっていった。そして西宮神社にはでっかいマグロが奉納され、皆が硬貨をはりつけ、願掛けをする。

全国3,000社のえべっさんの総本社である西宮のえべっさんは、神戸・和田岬の沖から出現した御神像を西宮の鳴尾浜の漁師が網で引き上げ大切にお祀りしていたところ、夢の中で御神像から「西の方、良き宮地がある。そこに遷し宮居を建て改めて祀ってもらいたい」との御神託を受け、西宮の地にお祀りした。
と、縁起にある。

だいたい、日本では、海の向こうには、神が棲む常世の国、ニライカナイ、死者が向かう国、不老不死の国などなど、異世界があったと考えられてきた。そして海からの漂着物はそんな異世界から来たものと考えられ、それらは福をもたらすものとして尊ばれてきた。
海の向こうからやって来たミルク神、アカマタ・クロマタ、クラーク博士、ジーコ、iPhone、chatGPT…。
さて、そんな漂流神としてのえべっさんは、不具の子に生まれた名残りで、耳が遠い。なんなら足も悪い。が、漂流神なので福をもたらす。これはもう、ギフテッドですな。神の子、スティーヴィー・ワンダー!
そこへ、願掛けを念押ししたくなる大阪人の図太さが加わり、裏参りの作法が生まれる。表でパンパンと柏手、裏にまわって、ようよう頼んまっせ!と、耳元で念を押す。銅鑼も叩く。

ワシが毎年お世話になっている堀川戎神社には現在、本殿の裏の際に駐車場の壁があるので、裏参りはできない。
できないが、参拝客はめっちゃ多い。狭い境内に3日間で20万人とも30万人とも。
今年も無事に参拝できた。
えべっさん、ようよう頼んまっせ!
とりあえず、高すぎる野菜の価格をなんとかしてくだされ。鍋もできへん。

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