アフロ仏
宇宙的な時間が流れているという意味で、宇宙っぽい仏像が京都にいらっしゃいます。
京都の岡崎にあって、法然上人が初めて草庵を結んだ地である、金戒光明寺。「くろ谷さん」と呼ばれて親しまれている寺さんです。法然さんなので、浄土宗のお寺さんです。紅葉の穴場なので、キレイだけど、比較的空いてます。
そちらに、僕は「アフロ仏」と呼んでいるのですが、「五劫思惟阿弥陀仏」がいらっしゃいます。頭がアフロね。
「無量寿経」というお経に、この仏さんのことが載っています。
無量寿経というのは、法然の浄土宗の根本経典で、「他力本願」を説いているものです。
他力とは、他人の助けによるもの。つまり、仏の力をアテにする、アテにするというよりも、拠りどころにする、という意味です。他力って、そういうことです。
もう少し「他力」の説明をします。
私たちは、さまざまな願いを持ち、その願いにしたがって生きています。
一番身近なのは、私の願い。
少し広げれば、社会の願い。
もう少しスケールを広げれば、国家の願いや人類の願いなど、さまざまです。
それぞれの人がそれぞれの立場で、それぞれの願いを大切にしながら生きています。
しかし、これらはどこまで広げても、なんらかの立場を中心にした願いです。
だから、立場と立場がぶつかると、そこに衝突が生じます。
国家間で願いと願いがぶつかるとき、無惨な戦争が起こります。
「他力」を拠りどころとして生きるということは、これら中心を持った願いにしたがって生きるのではなく、自分からは一番遠いもの、むしろまったく反対の側からの、まさに「自」から言えば絶対的に「他」であるものからの願いを聞きとめて生きることを意味します。
私の願いからもっとも遠いものが、阿弥陀仏の本願と言われるものです。
これが、「他力本願」です。
「私の立場」を優先させることを捨てて、自分からは一番遠いものに耳を傾けながら生きようとする態度を、「他力本願」と言います。
さて、そんな「無量寿経」に、アフロ仏のことが書かれています。
阿弥陀仏がまだ修行中の菩薩だったとき、もろもろの衆生を救わんと五劫の間、ただひたすら思惟を凝らし、四十八願を立てて、修行をして悟りを開き、阿弥陀仏となった、とあります。髪の毛が伸びて渦高く螺髪を積み重ねた頭となられた様子を表現したのが、この、五劫思惟阿弥陀仏です。
で、どこが宇宙的なのかというと、
五劫という時間の長さです。
五劫とは時間の長さで、1劫が 5つということです。
1劫とは、天女が3年に一度舞い降りてきて、「四十里立方(約160km)の大岩に、天女が100年に一度舞い降りて、シルクの布(羽衣)で大岩をさっと撫でるわけです。次に天女がやって来てさっと撫でるのは、100年後。それを繰り返して、その大岩がなくなるまでの長い時間」のことを 1劫と言います。それが5倍で、 五劫。
そのような気の遠くなるような長い時間、思惟を凝らし修行をされた結果、髪の毛が伸びてアフロみたいになっちゃっちゃった、と。それが、五劫思惟阿弥陀仏です。この時間のスケールがまさに宇宙的です。
落語の「寿限無寿限無、五劫のすり切れ」はここから来ています。
全国でも16体ほどしか見られないという、珍しいお姿です。
金戒光明寺の五劫思惟阿弥陀仏は、特に珍しく、石で彫刻された石仏です。江戸時代中頃の制作と思われます。
奈良の東大寺の裏に五劫院というお寺があり、そちらでは、木像の五劫思惟阿弥陀仏がいらっしゃいます。20 年ほど昔はいつでも拝観できたのだけど、今は毎年8月に10日間 ほどご開帳があるだけのようです。
関西ではそれくらいでしょうか。
とにかく、京都の金戒光明寺にお参りすると、いつでも拝むことができます。
お寺の墓地の中の一角にあるので見つけにくいのだけど、案内ボードが建てられているので、それにしたがって行くと、辿り着けると思います。
御朱印は「五劫思惟」と墨書されています。
人気のある仏さんなので、いろいろグッズもあります。
僕もクリアファイルを持ってます。
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