企画展「水俣病を伝える」
大阪で暮らしていると、水俣のことはなかなか伝わってこない。
もう過去のこと、そんなことがあったの?という人がほとんどで、先日、環境大臣と水俣病団体の懇談で環境省の役人と大臣が血も涙もない措置をとったおかげでニュースになり、水俣病問題がまだ終わってないことを知った人も多いはずだ。
遠い場所のことなので、なかなか自分事としてとらえにくいものではある。
13年前に、東日本大震災があり、原発事故があり、大阪でも放射能に対する考えかたで分断が生まれた。
ニットによる東日本大震災の震災遺児支援ボランティアを立ち上げたとき、この、分断をどうとらえたらいいのか、水俣の事例を研究していた関西大学の先生をイベントに招いて、「もやいなおし」のことをお話してもらった。
僕にとっての水俣は、そのときからだ。
そのときから、水俣病問題を自分事としてある程度とらえることができるように、少しアンテナが伸びた。
国立民族学博物館に行き、企画展「水俣病を伝える」を見た。みんぱくの50周年記念事業だ。
創設50周年の記念企画展に水俣病をとりあげるあたり、民族学を標榜する博物館の矜持を見る思いがする。
病や公害とどう向き合ってきたのか、どのように伝えるのか、どういう伝えかたがあるのか、どのような人間の感情があるのか。民族学が持つテーマに則って、展示されていた。
「人さまは変えられないから、自分が変わる」。
この言葉は、関西大学の先生を招いて「もやいなおし」の講義をしてもらったときに出てきた言葉だけど、今回の展示でも出会った。
大阪もね、維新の躍進やら万博やらコロナやら、2派に分かれて分断がしょっちゅう起きている。もやいは、しょっちゅう切れるのだ。だからこそ僕は、しょっちゅう、もやいなおし!もやいなおし!て言うている。