YとNとIそしてフィクトセクシャル 後編
こんにちは、瑠以です。
⚠夢女子、脳内彼氏、イマジナリーフレンドという言葉に理解がない、嫌悪感を覚える方は閲覧なさらないことをおすすめいたます。
前回の続きです。またも長いですが、お付き合いいただけると嬉しいです。
ハルヤマの考えを受けて私が考えたこと
夢女子の対象は既存の二次元(時に芸能人)である。脳内彼氏持ちの彼は、本人が作りあげた”理想の彼”(二次元のキャラのコピーであることもある)。イマジナリーフレンド持ちのフレンドは、必ずしも恋愛関係にあるとは限らず、人型とも限らない。また、持ち主の感情を共有する一方で、”別個の存在”として意見してきたり行動したりする。
私個人としては、夢女子の一部に、彼が自分の自我や感情に関わってくる人も存在すると考えている。それは、純粋なイマジナリーフレンドにあるような感情の共有や意見の相違を感じる場合だ。更に、”脳内彼氏持ち”と”脳内会話のできる夢女子”の違いは一体何だろうか?夢女子のなかに根付いたそのキャラは彼女の影響を受け、公式のものとは違う存在になっている。そう考えたとき、もはやそれは”脳内彼氏”と言えるのではないだろうか?
え、結局どう違うの?
結論から言おう、こう↓だ。違うには違うが、重なりあっている部分が往々にしてある。
夢女子とフィクトセクシャルの違いは?
フィクトセクシャルについては、以下のサイトを参照。私は、三次元の相手に恋愛感情や性的魅力を感じたとしても、フィクトセクシャルにはなりえると考えている。
”夢女子”の一部は”ただの夢女子”にはとどまれず、【次元の壁】が問題になる。
”アバター(夢主)”を用意して、二次元世界で相手と幸せになるだけでは足らず、”今ここにいる私自身”が”二次元世界に存在する彼”に恋をしたために【次元の壁】に捕らわれ悩むことになる。この段階の人々をフィクトセクシャルと呼ぶのではないだろうか…と私は、今考え始めている。
私は、夢女子とフィクトセクシャルは全く別物だとは思っていない。もちろん人によりけりなのは言うまでもないが、最初はただの夢女子だった人が次第に変わっていき、フィクトセクシャルになっていくことはあるのではないだろうか。この場合、夢女子とフィクトセクシャルの違いというのはハッキリしたものではなく、グラデーション的な変化、違いだと考えられる。
更に、フィクトセクシャルだと自認する人の話を聞いていると、彼女たちは図の以下の部分にあたるのではないか?とも思えてくる。
つまりフィクトセクシャルとは、既存の二次元の存在を自己のなかに取り入れ、自分の感情を共有しつつも、”別個の存在”として彼らを認識、感知し”恋人、想い人として”接している人。
もちろん、これはあくまでも私の考えであり、全ては仮説にすぎない。
これを見てくれた賢明な方々が、更にこのテーマについて楽しく、激しい議論を交わしてくれることを願うばかりである。
本当に長くなりました。ここまで読んでいただき、ありがとうございましたm(__)m
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