#177 うつ病発症20日前・発症後322日目

こちらのブログで,「文章>音声>動画」と書かれていたので,「文章で発信したほうがいい!これからはブログの時代だ!」という僕の考えが当たっていました。ありがとうございます(#単純)。

さて,今日でうつ病発症から322日です。発症からだいぶ経ちました(笑)。調子は良いです。とはいえ,調子はいつかまた悪くなるものです。「盛者必衰の理」を身をもって体験しています(笑)。

さっそく,今日もうつ病の経過を記録していきます。(第1回目はこちら。第2回目も大事なのでこちらからどうぞ)

早速↓へGO!

【過去のこと・思い出したこと(発症20日前)】

さて,うつ病発症まで残り20日を切りました!

・6月20日㈭:この日は僕の29歳の誕生日でした。刻一刻とうつ病発症が迫る中,誕生日を迎えています(笑)。そして,どういうわけか,午前2時8分に彼女にLINEしています。こんな時間に目が覚めたみたいです。日付が変わる(誕生日を迎える)瞬間は寝ていたようですが,午前2時頃に目が覚めています。つまり,既に「中途覚醒」という症状が現れていたのです。おそらく,この時点で既にうつ病を発症していたと思われます。中途覚醒するほど心身ともにボロボロだったのですが,なんとか自分を奮い立たせ,8時42分に出勤しています。午前中は予定は入っていませんが,昼の12時47分に,裁判所へ向けて事務所を出発しています。この日は午後から調停がありました。離婚や相続などの「家事調停」ではなく,「民事調停」です。土地に関する事件だったのですが,調停をやるのは,離婚や相続などの「家事調停」だけじゃありません。で,この事件は,顧問先の社長から受けていて,上司と一緒に事件処理していました。これが,大きなプレッシャーだった。

今思うと,上司は,かわいそうでかわいくて,取るに足りない存在ですが(あくまで,人間的にです。「弁護士として」という意味だと,経験年数や処理した事件の数が能力を左右しますし,それを差し引いても,よく勉強していてセンスもあり,非常に優れた弁護士だとは思います。とはいえ,弁護士として優秀なら,「経営者として」「人間として」も優れていることにはなりません。法律の勉強が必要なように,経営も勉強が必要です。弁護士業務ばかりやっていても,経営者としてはほとんど成長しません。「人間として」のほうも然り。法律の本ばかりを読んでいても,「同じ年」を毎年繰り返すだけです。それだと,「30年の経験」も「同じ1年を30回繰り返した」ことになってしまいます。日々更新されていく常識=変化する常識に食らいついていく(むしろ,それを楽しいと感じる),そういった気概がないと,「経営者として」「人間として」の成長は望めません。),この当時は,大きなプレッシャーを感じていました。「給料をもらって食っていかなきゃいけない」「だから失敗は許されない」そんなことを感じ,上司と一緒にやる事件にはプレッシャーを感じていたんです。

(↑みたいな「常識」って,本当に間違いなんだよなぁ。だって,今この瞬間,僕は働いていないのに生きています。322日間も働いていないのに,生きていくためのお金が足りています。↑の常識が真実なら,僕はとっくに死んでいます。本当に当時の僕はバカみたいです。)

話を戻します。この日の午後は,こういうプレッシャーを感じる事件の期日だったのです。裁判所までの行き来は,上司とドライブして,プレッシャーを感じていました。なんというか,ここから学ぶべきなのは,普段の職場環境を整えとかないと(ここでいう「整える」というのは,各従業員が安心してのびのびと働ける環境を整備するという意味です),単なるドライブですら,従業員にプレッシャーを与えるものになってしまう,ということです。僕は,よく例としてレイプをあげますが,レイプを受けた被害者は,当然,レイプ加害者と一緒の空間にいたくありません。それと,同じことが職場でも起きるわけで,つまり,職場を同じくすることによって,レイプを受けたのと同じように,大きな精神的苦痛を被りかねないのです(もちろん,パワハラやセクハラによって受ける精神的苦痛がレイプと同質であると言うつもりはないのですが,僕が言いたいのは,パワハラも,大きな精神的苦痛を被害者に与えてめちゃくちゃに苦しめてしまうという点ではレイプと同じだということです。こういった精神的苦痛を与えるリスクを,どの職場も孕んでいることが重要と考えています)。特に,日本の職場というのは,「立場」や「キャラ」が固定化されやすい。こういうキャラの固定化によって,苦痛の積み重ねが起こりやすく,その結果,重大な精神的苦痛をもたらしてしまうのです。

また話を戻しますね笑(#脱線しがち)。調停の後,2時45分に事務所に戻っています。そして,午後6時10分に事務所を出ているんですが,帰ったのではありません。事務所の食事会がありました。いわゆる「接待」です。

しかし,「接待」というのは,後から書く木庭先生の本に照らして,法の対極にあります。なんというか,現実的に接待という文化があるのは認めますし,それがこの社会で有用だとも思うのですが,接待というのは,いわば,暗黙のうちに利益を交換し,ブラックボックスで不透明なものです。法の対極にある「集団」を生み出すものです。それに弁護士が携わるというのは,うーん,どうなんでしょうね。僕自身も,あまり潔癖になりすぎるのはよくないとは思いますが,法の真髄も理解しないまま,安直に接待する・受けるというのは,よろしくないような気がします。

食事会は8時49分に終わり,その後帰宅しています。

→今日はここまで

【今日経験したこと・経験して考えたこと(発症322日目)】

・今日できた仕事・勉強

今日も昨日に引き続き,『誰のために法は生まれた』(木庭顕,2018年 リンクはこちら)を読んでいました。↑で「法の真髄」なんてわかったような口を聞いてしまい,恐縮していますが,そもそも,この動画でも語られていますが,ローマ時代というのは,現代のように,裁判があって,法が支配していた時代です。ローマ時代の前がギリシア時代で,そのギリシア時代に,法が生まれ,ローマ法に引き継がれたわけです。そして,近代の法というのも,ギリシア・ローマ時代から借りてきたんです(↑の本にそう書いてあります)。

で,この本に僕はめちゃくちゃ影響を受けているわけですが,この本には,ギリシア・ローマ時代に生まれた(そして,現代にも引き継がれているはずの)法の役割が明確に書かれています。それは,「集団から個人を守る」ことです。そのために,法は存在する。この説明のために,この本ではいくつかの古典が参照されているんですが(というか,古典を事前に読んできた中高生と,その古典を前提に対話する,という形で話が進んでいきます),その古典では,必ず集団(文中では「グル」とも呼ばれています。「グルになっているやつら」が集団で,法が倒す(解体する)べき存在です)が登場します。この集団(グル)は,怪しげな利益交換でグルになっているんですね。明確な決まり事はなくって,なんとなく,とったりとられたりをしている。まさにブラックボックス。その対極に個人がいる。集団から個人はいじめられているんだけど,その集団に断固として立ち向かう。その立ち向かう個人を救う,それが法だということです。なんか,僕の説明だと抽象的でわかりにくい(というか,そもそも理解レベルが相当に低い)ので,ぜひ↑の本を読んでみてください。

・仕事・勉強以外に今日やったこと

今日は少しYou Tube見てました!

【今日のうつ病】

昨晩は11時10分頃に布団に入りました。驚くほど寝付きがよかったです。元気な頃と同じくらいのスピードで寝付けたと思います。朝は,アラームより少し早め(6時50分頃)に目が覚めましたが,熟睡感もありました。今日はやや首のコリが目立っていたのですが,調子は良いと思います。

今日もブログ書けてよかった!

それではまた明日!

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