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外資系で始まり日系企業に行きついたあるビジネスマンの半生 ~4

MBAの最初の1年が終わると多くの学生はサマージョブというインターンシップを経験する。私は、国際機関で働くというMBA留学の当初の目的を達成すべく、ワシントンDCで3か月仕事を探すことができた。 1か月の給与が1500ドル、1か月の家賃が1000ドル程度だったと思う。 収入よりも生活費のほうが多かったが、国際公務員であればそんなものなのかなと思い、経験を重視してオファーを受けることとした。 

2年のMBA卒業できなかった同級生はいなかったと前に書いたが、サマーインターンにつけなかった同級生は5~10%程度いたと思う。サマーインターンを見つけられずに夏休暇中も授業をとっていた同級生を見ていると、大変厳しい世界だな、と当時は思った。 同級生は600名いたと思うが、全員が成績やサマージョブで同列に競争をさせられつづけ、こなしきれない課題・宿題を与えられ、米国の競争社会を身に染みて感じることとなった。2年後の卒業時にはほぼ全員が卒業し就職していった。  

サマーインターンの話をすこし書いてみたい。結論からいうと、外からみる国際機関と実際に働いてみる国際機関にはかなりギャップがあった。実際働いた経験を述べさせていただくと、巨大な官僚組織がそこに存在した。また、職員の大多数の人は、途上国から伝手を通じて憧れのアメリカで仕事につき、5年働くと生涯年金が支給され、給与収入が課税されない国際公務員のステータスは、一旦始めてしまうと他人に渡したくなくなるのが人間の本質なのであろう。 非常に特権的なポジションのように見えた。

機関としての存在意義については、(当時のデータであるが)設立50周年を経過して、開発経済の恩恵を受けてOECD入りした国は日本しかいない、と聞いたときに、途上国への「援助」の実効性は非常に低いと思った。先進国(ないしアメリカ)から、現地の実情を理解しない(もしくは理解したとしてもまったくのアウトサイダーとしてのかかわり方の)まま、「援助資金」を支給し、経済開発の仕事をしたとしても、自分としては矛盾を大きく感じることになるであろう、と考えることになった。 (これは、今国際機関で働いてらっしゃる方々を否定するものでは一切ないことを付記させていただきます。矛盾はいつの時代、どの組織でも存在するものであり、だからと言ってそこで一生懸命お仕事を行うことはそれ自体価値のあることだ。一つしか身体はないのであり矛盾を乗り越えて少しでも貢献をしていくことはどの世界でも希少価値のあることだ)  

3か月のワシントンDCの生活は快適であった。博物館、美術館はすべて無料であり、(当時は)外食をするにしてもそれほどのお金は必要ではなく、郊外へのドライブ、ゴルフ、南部への旅行等知的な刺激もみたされ楽しい3か月であった。 


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