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外資系で始まり日系企業に行きついたあるビジネスマンの半生 ~5

ビジネススクールの2年目は、クラスの要領や生活にもなれて楽しい学生生活となったと書きたいところだが、実際にはその真逆であった。新学期が始まったとたんに、各社リクルーターによる就職説明会が毎日のように始まった。そして、授業の宿題・課題の量もいっこうに減らなかった。

そういえば、最初の1年間「リーダーシップ」と呼ばれるセッションを他の学生5人と(強制的に)組まされてグループワークを経験した。 日本人であれば、グループで仕事をすることが当然なので、このようなクラスは取り立ててコースにはならないのであろうが、個性の強い欧米人(というか特にアメリカ人)がグループワークをともに1年間もこなすことの難易度は極めて高かった。私はイラク戦争に参加したウエストポイント校(陸軍士官学校)をトップ5%で業したアメリカ人、ネイビーアカデミー(海軍士官学校)を5%で卒業した軍人(軍人のままMBA に派遣されてきた稀有な例)、コンサル上がりのイギリス人、ジャズ・サクスフォニストだったフランス人、ハーバード大学を卒業して2年程度金融で働いていた中国系アメリカ人というユニークなメンバーとともに、1年間の共同学生生活を過ごすこととなった。まったく協調性のない人、一人で黙々と宿題をこなすひと(軍人系)、創造性があまりにも高くまとまりのないにと(音楽系)と一緒に毎回宿題を共同でこなさなければいけなかった。この1年間でけんか別れして崩壊してしまった他のチームもいたが、我々のチームはなんとか1年継続してチームワークをすることができた。 1年後お互いの行動・性格を評価しあうこのコースで、私はメンバーから「人との衝突を避ける特徴がある」とずばりと指摘されたことを思い出す。そしてその課題はその後のキャリアで多大なる影響を与えるものであったことを認識することとなった。

2年目のコースは1年目と比べると専門性・実践性が高くなっていった。 とはいえ、一つ一つのコースが3か月単位で終了していくため、当時は広く浅い勉強でどれだけ将来のキャリアに身につくのだろうか、と感じながら勉強したことを思い出す。卒業してから25年たった今振り返えってみると、ビジネスとは常識をもって仕事に向かいあい、常に新しいことを学ぶ姿勢をもちつつ、よりよい仕事をしようとするパッション等が求められることが常であって、学校で真何だ具体的な知識は時とともに古くなり、状況が変わると身に着けた知識も柔軟に適用していかないといけないことがよくわかった。その意味で、MBAで学ぶ意義を今総括すると、人とのネットワークの構築、膨大な情報から自分の置かれた状況に適した質の高い情報をいかに摘出するか、そして、高いプレッシャーを受けた環境の中でいかにバランスの取れた判断をすることができるかを学ぶ場であったといえるのではないかと今考えている。とはいえ、25年たったいま自分の人生を振り返ってみて、決して学んだことを生かしてキャリアを作ってきたとはとても言えない人生だはったが。。







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