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本当は生きてるだけで十分という前提の話。何のために頑張るか

昨日の夜中、寝るときにYoutubeでウメハラさんの雑談切り抜き動画を観ていて、改めて思ったんですよね。

ホントは生きてるだけで、健康であるだけでいいはずなんだと。

動画の内容としては、以前彼がコロナにかかって入院したとき、退院後の配信において入院中の経験をしゃべっているものなんですが、その中で

「それまで、人生ってのは健康なんて当たり前で、刺激的じゃなきゃいけない。能動的で精力的で、向上心をもって生きなきゃいけないと思っていた。でも違った。そんなもんは余興、おまけ。健康であることをいいことに、無理に暇つぶしを探してるだけ。」

と語ってるわけです。しみじみと。


というのもウメハラさんの症状は相当ひどく、人工呼吸器をしてなんとか生きていた状態。生死の淵をガチでさまよったらしいんですね。

で、ようやく容態が落ち着いてから食べた病院食がおいしかったんだと。
ほうれん草のごま和えで食べるごはんが凄く美味しかったんだと。

よくある話ですが、人間て自分で体験して実感しないとわからないもんじゃないですか。我ながら馬鹿な生き物だなと思いますけど。


生きるってべつに良し悪しを競うものではない

いまの時代、こうしてネットが広く普及したことで誰でも発信・発言ができるようにはなりました。それでシンプルに人生観が広がるだけならいいんですが、逆に自分より人生がうまくいっていそうな人のキラキラしたものが嫌でも目について、「自分の人生は間違ってるんだ。失敗なんだ」という刷り込みをされやすい側面もあるご時世でしょう。

ある意味、多くの人が成功者・インフルエンサーに憧れてしまう構造が出来上がっている。憧れた結果、自分の人生をキラキラしたものに色付けして公開するような人も珍しくありません。

極めつけに、「あなたの人生がうまくいかないのは努力不足」みたいな視野の狭いキラキラ啓発も回ってくるようでは、人生の本来の意義を見失うのも当然と言える。


僕は昔から思ってますが、本来は生きることに意味なんか求める必要ないし、人生に偉いもクソもないんですよ。

人間の生きる道ってどこまでいっても
・向き不向き
・好き嫌い
・運

この3つに尽きる。
ここに屁理屈の余地はないと僕は思う。


世間から何を言われたところで、ヒトは自分が興味のあるものに食い尽くし、意欲がわかないことは頑張らないし、

たとえ嫌なことを頑張るにしても、それはその先に欲しいものがあるからでしょう。夢も希望も目的もなく、頑張るような生き物じゃありません。

どれだけ健康リスクが判明したところで酒も無くならないんだから、
人間の意志なんてその程度じゃないですかね。
欲に素直な生き物なんです。

だから僕は、お綺麗な精神論が嫌いだ。
どう観ても僕たちはそんなに高尚な存在ではない。

ただ、絶望し絶滅を願う必要もない。
楽しい・嬉しい・幸せと感じる機能があるのは大したものだ。


頑張るのは自分の納得のためであるべき

イーロンも、藤井聡太も、大谷翔平も、それぞれあの道が好きで、向いてるから、夢中になれるから人生を賭せるという話で。

違う国,時代,家庭環境に生まれていたら、彼らの人生だって違うはず。

大谷が戦国時代に生まれていたら剣豪だったかもしれないし、たくましい農民だったかもしれないが、少なくともメジャーリーガーではないだろう。

もしシリアに生まれてたら、それどころでもない。



相手が身近な人でも同じだ。

「あの人は掛け持ちで仕事をして毎日夜中まで頑張ってる。だから日中しか仕事してない自分より立派なんだ」「あの人は同年代で私よりも稼いでいる。私は愚かだ」「仕事でうつ病になった。無価値な人生だ」

そうじゃない。

人生うまくいかないのは、ハマらなかっただけですよ。いろいろなものに。
ハマりっぱなしの人生もある、まったくハマらずに終わる人生もある。

逆にいえば、どこでどうハマるか分からないのだし、
自分が納得だけはできるように生きるしかない。

人間様々な優劣があるが、どっちの人生が立派とか競う必要はないわけです。本当は。
各々勝手に生きてれば良い。
勝手に恥をかいてればいいし
勝手に成長すればいい。


僕は人生のラスボスは自分のコンプレックスだと考えています。

人生どこでどうなるか分からない。必死に頑張ったって、望むものが得られるかは分からない。自分が夢中になれるものが、他人にもそうとは限らない。

分からん尽くし。
他人の人生も自分の人生も、採点なんてとてもできない。


所詮あるのは
気に入るか気に入らないか。

「あの人の生き方とか人柄素敵」なら見習えば良い。
「あの人みたいにはなりたくない」なら反面教師にすればいい。

そんだけですよね。

だからどんなにひどい状況でも、自分の納得だけは忘れてはダメなんですよ絶対。

「こういうこともある」「望む結果でないが、得たものや教訓はあった」
自分の恥をそういうふうに処理しないと、それがコンプレックスになる。

そのコンプレックスを一生抱えることになる可能性は十分にある。
コンプレックスで頭おかしくなるご年配いっぱい居るじゃないですか。

4,50過ぎて毎日のように政治家批判とかしてるようなのとか。
必死に自分の人生は周りより正しいとアピールをする人とか。

僕も過去にそういう人に出逢いました。
あれにだけは成っちゃいかんと思う。
コンプレックスだけは育てないように生きよう。

思うことが多すぎて長くなりましたが、幸せとか充実はまだまだ語りたいテーマではあるので、十中八九また書きます。

まぁ、それはまた別のお話。

てわけで皆さん、おやすみなさい〜


あ、日本のプロゲーマーの先駆者であるウメハラさんの本、めっちゃ面白いのでぜひ読んでみてください。ビジネスマンにもよく売れたことで有名なやつです。

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