あるべきすがた3
3 詰めの甘さ
一厘の罠とはすなわち自分自身を自覚できていないことだ。一章で語った直感から得たことに付随してえる、快感、エクスタシーによって熱狂的、盲信的となり、周りの人への最低限の礼儀を忘れたりすることだ。浮き足立つと言うことだ。先ほどの汎神論は全ての存在を愛し、尊重できる、そして自分も愛され、尊重されることができる、と言う素晴らしく美しい考えである。多元主義だ。しかし、多元主義の押し付けは多元主義ではない。そして、今世界中で多元主義のおし付けをしている。グローバリズムとかいうやつだ。LGなんとかもみんなそれだ。SDなんとかもそれだ。多様性を謳いなが画一的なものの考え、価値観を強制する。一番多元主義からとおくなる。近いところほど遠いのだ。
宇宙はねじれている。
先程からでている意図的に作られたというのは、要は一章の命題の大多数を搾取する一部のトップたちが作ったのだ。彼らはこの構造を維持するためになんでもする。何がなんでもする。彼らの行こうとするところは完璧な単一社会だ。個性のない社会だ。はっきり言う、とんでもないところだ。喜びも自由も何もない。与えられるのは完璧な支配と、仮初の自由、喜びだ。仮初と言う言葉に騙されるべきではない。仮初の自由は100%自由ではないし、仮初の喜びは100%喜びではない。はっきり言う。正しいことを正しいと言う覚悟を私はもっているからだ。もしここまでを読んでくれた人がいたら、そしてもしそんな社会が嫌なら、あの命題からでたいなら、一厘をしっかり持ちながら直感を大切にしろと、私メキキはアドバイス、助言をする。そうすることが私のあるべき姿だ。