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山の音(1954年)

成瀬巳喜男監督作。映画全盛期ですね。
「七人の侍」「ゴジラ」「二十四の瞳」等傑作の多い年。日本にまだテレビが存在しない時代で、制作本数も映画館数もピークの頃です。
ネタバレあります。

山村聡が、若干若いです。会社の重役ではありますが、まだ政治家や提督や大企業社長ほどの貫禄はありません。髭に若干コスプレ感があります。

原節子は、美人の若嫁役。この頃は、「空は青い」というのと同じくらい「原節子は美人」と日本国民全員が認識している時代です。劇中でも、回りの人から美人と言われて本人も否定しません。

と言うより、原作川端康成です。Wikipediaを読むと、川端康成の最新作をすぐ映画化したようで、当時は川端康成の代表作どころか、戦後日本文学の最高峰と言われていたようです。
私が不勉強なだけかもしれませんが、後世的には、「雪国」や「伊豆の踊子」に比べると知名度が低い作品です。まあノーベル賞受賞が1968年なので、それ以前と以後では印象も違うかもですね。

しかも映画では「山の音」には触れられません。
山村聡が体を悪くしたことは、冒頭で少し触れられますが、原作での死期を意識させるような「山の音」は全く出てきません。

川端康成は、自伝的な小説も多い作家ですが、「山の音」発表時の実年齢は数えの51歳。作中の信吾は62歳らしいので少し年上です。多分自分の将来の理想の姿だったのかもしれませんね。

信吾は、当時としては非常に拓けた考え方の持ち主で、家族に自分が世帯主だからというような、頭ごなしな威張った態度は取りません。
特に息子の妻に対しては、当時としては異例なくらい優しく思いやりを持って接しています。
下世話に翻訳すると、息子の嫁に恋情を持つキモい舅ですが、映画では山村智の好演もあり、節度ある態度に終始します。
あの時代に実際にこんな義父がいたら、回りにかなり引かれたのではないかと思いますが…。
お手伝いさんを雇う話をして、門構えの立派な、広い庭の向かい合わせに2棟あるような家に住んでいるハイソでインテリな家庭では、進歩的でお互い思いやりがあり、嫁姑問題もない ということなのでしょうか…まあ夫は浮気していますが。

上原謙は、頼りない夫が似合う俳優ではありますが、今作では特にかなりのクズです。
美人の若妻がいるのに浮気している、というのは当時としても褒められたことではなく、だからこそ父親が勝手に浮気相手に談判しに行ったりするのですが、話を聞いた父親は、息子の愛人にあまり強く言えなくなってしまいます。
息子に対しても強く言えないのは、息子の嫁に対しての邪な気持ちを自覚しているからだけではなく、昔ながらの父親の威信みたいなものが通用しなくなる時代になってきたということもあるのかな。
戦前とは違う時代。兵役に行って帰ってきたイマドキの若者世代の息子たちとは全く噛み合わない…それを頭ごなしに服従させる訳にもいかない時代。

息子は愛人を「こさえた」のみならず、彼女を妊娠させ、更に殴ったり階段から突き落としたりした様子です…。私の気持ちなんて分からないでしょと言われた信吾は「菊子(嫁)の気持ちも分からないだろう」と言い返すのですが、息子の仕打ちを聞いてしまうと「子供は私のものです。私の勝手にします」という愛人に強く出られません。
つい手持ちのお金を渡してしまうのですが、愛人はそれをつっ返すのではなく受け取った挙句「受取り書きましょうか」と言います。
愛人は戦争未亡人で、子供もなくカツカツの生活です。
家庭のある男と付き合ったのは褒められたことではありませんが、そこに愛や安らぎを見出したり、できた子供に希望を抱いたりしたことは責められない…。戦後9年しか経たない日本が表れています。

実は上原謙は山村聡より年上です…1歳だけですが。山村聡の髭にコスプレ感あるわけです…。いや上原謙のクズ息子演技がすごいのか…。
原節子は山村聡より10歳年下。

妹役の中北千枝子がいいです。原節子のお人形さんぽいいい子ちゃんよりずっと人間味があります。
中北千枝子は「流れる」でも似たような役でしたね。不機嫌な役が似合います。
美人で売った女優ではなく派手さはありませんが、夫は東宝の超大物プロデューサー田中友幸。いちばんいいポジションかも…。
房子は夫と不仲ですぐ家出してきます。自分にまとわりつく娘を邪険に追い払い、実の娘より息子の嫁をかわいがる父親に、はっきり嫉妬を表します。夫と不仲なのは、菊子とは違い房子自身にも責任があるのでは…と思わせます。これも当時の現代的な若者像ですね。

妹の夫役で一瞬出てくる金子信雄は、まだ髪があり「仁義なき戦い」の雰囲気はありません。
信吾の友達役で少しだけ出てくる十朱久雄も飄々といい味出してます。娘の十朱幸代とは似てませんね…。
修一の愛人役の角梨枝子、初めて見ましたが、今作と同年の1954年版「放浪記」主演なのですね。高峰秀子版しか知りませんでした。
エキゾチックな美貌で、やはり戦後の女優という感じです。彼女を始め、口を開くと奥に銀歯が光るのが、時代を感じます。今や普通の主婦の役でも背中ムキムキ女優魂だったりしますからね…。

しかし昔ながらの日本家屋というのは、本当に秘密を持つのに向いてない造りです。
庭から部屋の中は丸見えだし、襖越しに気配や会話も筒抜けです。
菊子は、遅くに帰宅した舅に、部屋で寝ていない、帰宅していないことを瞬時に見抜かれます。
原作では若夫婦の夜の生活さえ、舅に聞かれているらしいです…。
実の娘よりかわいがってもらって、若妻のほうでも義両親を慕っているとしても、肝心の夫があまり家に寄りつかなく、子供がなかなかできない生活、更に出戻り子持ちの小姑(夫の妹)までいる生活というのは、居心地よくはないでしょう。夫の妹にもズケズケ「まだ子供できないの?」と聞かれます。結婚すれば子供を作るのが当然、できない場合悪いのは妻側…が当然だった時代ですね。
結婚した女が実家に帰ると、実家から婚家に連絡があり「しばらく預かります」と断りを入れる時代…。
「愛人をこさえた」「嫁に来る」「嫁にもらう」等々、女はモノ扱いの時代です…。
気遣われてはいますが、忙しい菊子のやっていることは女中、お手伝いさんと変わりません。まあだから女中を雇おうという話をしているのですが…。
戦後は、今までとは色んなものが変わってしまった…という、当時の「現代」を描いている今作ですが、今から見ると、まだまだ前時代的です。
だからこそそんな時代に、自分の一存で中絶手術をし、後には離婚を決めた菊子の芯の強さ、自立心が際立つのです。

信吾は故郷で美人だった女性を娶りたかったけれど、彼女が早逝してしまったので不美人なその妹と結婚したという過去があります。
娘にも、美男の息子はかわいいけれど、不美人の私(妹)はかわいくなく、美人の嫁のほうがかわいいと責められます。
信吾自身も見栄えのいい男です(まあ山村聡ですから)。
二千年前の蓮の話を始め、息子の嫁とは色んなことで話が合い、気持ちが通じ合うのですが、それも2人が見目麗しいことがそもそもの共通点としてあるからでしょうか?
今の観点からすると、見た目で人を判断する信吾は間違えている、ダメなやつ ですが、1950年代には、ルッキズムはありませんでした。
美術品や芸術と同じように、人間も美しいものが優れている という感覚も、まあ当然だよねとされていたのでしょうか?

結局菊子は離婚を決意します。ひとしきり泣いてスッキリした菊子が信吾と遠くを眺めるシーンがラストシーンです。
これも新しい時代、新しい家族の姿ということなのでしょうね。
今から見ると、夫より先に義父に伝えるという行為自体が、旧態然とした家族制度のように見えるのですが…。
同じ成瀬巳喜男監督作で、結局妻が夫の元に戻る「めし」も、原節子&上原謙でした。となると「めし」と裏表をなす作品ということでしょうか。
原作とは違うラストらしいです。
原作の完結前に映画が制作されたので、オリジナルの結末になったようですが、女性の自立という点では、こちらのほうがよかったのかもしれませんね。

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