憑依型の作家さん
漫画や小説を読んでいると、よく1人の人間からこんなにも沢山の登場人物の考えや、動きが思い付くなあと思う。
私は、最近になって、美内すずえさんの漫画を読むようになったのだが、彼女の作品の登場人物達のなんとイキイキとしていることか。
そして、息をもつかせぬストーリー展開。
よく、漫画に限らず有名作品を描いてる方が、
「登場人物が勝手に動きだす」という表現を使っているけれど、あれだろうと思う。
アンナ・カレーニナや、赤毛のアン、紫式部の書いた光源氏だってそうかもしれない。
もちろん、綿密に練られた構想や、設定はあると思うのだが、名作と言われている作品には、やはり何かが憑依して作りあげられているのではないかと思う。
作者だけではない、その上にある何か。
美内すずえさんの代表作、「ガラスの仮面」でも、
主人公の北島マヤは、役を演じるというより、何かに憑依されているかのような演技をする。
また、作中に出てくる仏像を掘る仏師は、木の声を聴いて、その木が望むように掘り出すという。
芸術家や彫刻家も、その素材の声を聴き、形を産み出すという。
作品の前に何かが存在しているということだ。
書かされているという表現を使う作家さんもいるけれど、産み出した作品の登場人物達は、生きているようだ。
もともと、存在している架空世界を描き出す役目を負った人達なのかもしれない。
そんなことありえるだろうかとも思うけれど、私も、ハッと言葉が浮かんで、これを言わなければとか、書き留めておかなければと思うことがたまにあるので、その状態の進化系なのではないかと思う。
人間の第6感とか、7感とかいう人もいるだろう。
そしてそれは、思い付いたその時、その瞬間でなければ、鮮度や勢いを失ってしまう。
だから、降りて来た時に、言葉にしたり、書き留めておかなくてはならないし、自分に都合良い時に降ろせるものでもない気がする。
もしかしたら、作家や役者や芸術家だけではなく、科学者や数学者、建築家にもそういう瞬間があるのかもしれない。
美内すずえさんは、ものすごい年月をかけて「ガラスの仮面」を描いているという。
きっと色んなご事情はあると思うのだが、美内先生は、すごく自分に正直な方なのではないかと思った。
嘘や辻褄合わせで物語を進められない方。
待っている多くのファンがいることは、充分に承知した上で、登場人物達がちゃんと動きだすのを待っていたり、ご自身が納得いくものを作りあげているのではないか。
物語が然るべき時に降りてくるのを待っているのではないか。ご環境や体調も含めて、万全で描けるその時。熱量を持って本腰で描ける時を。
でも、長年新刊を待ちわびているファンの方からすれば、辛い年月だろうと思う。
私は、幸運なことに、最近はまったので、一気に49巻まで読むことができたけれど、1巻1巻を待ちわびていたファンにとっては、長い道のりだったろうな。
そして、これからは、私もその最新刊を待ちわびる1人でもある。
美内先生が妥協せず作り上げる素晴らしい作品を、1ファンとして心待ちにしたい。