ファンタジーオンアイス2024幕張ライビューからこの熱さで愛知へ行くよ
ファンタジーオンアイス(以下FAOI)2024幕張公演をライブビューイング(以下ライビュー)で観た。
会場である映画館にはひとり席が10席ある。昨年のライビューはその席が当たって、なんてラッキーなんだろうと思った。同料金なのに申し訳ないなと周囲の人を見渡しながら隠れるようにその席に納まった。
今回はチケットを別々に取った友人がその席をゲットしていた。その日私は体調が万全でなかったのだが、その理由はnoteに書いた。彼女にも理由はnoteを見てくれと、其々の席へと別れた。
しばらくして彼女が私の肩を叩いた。「ゆっくり堪能してね」とその席を替わってくれた。その幼馴染の彼女にあらためてお礼を言いたい。
オープニングから飛ばしてきてる羽生結弦。怪我したところは大丈夫か、おろした前髪がその傷に貼られた手当を隠している。知らない人にはわからないかもしれない。観客がいて氷に乗ってしまえば、プロの彼の意識には傷の痛みなどないのだろう。
安田レイ さんのRayofLight♪にのって、1日目は悔しかったに違いない4Tを決めた。女性に引けをとらない奇跡のプロポーションのその人は、衣装をまとえばたちまちに女性ではなせない筋肉を隠せてしまう不思議さを合わせ持つ。中心にいる彼は、ファンの欲目を抜きにしてもやっぱり一番に輝いて見える。
正直3時間あまりの時間は個人的には中弛みしてしまうのだが、今回通してみれば、確実に昨年より羽生くんの存在感が打ち出されていたし、ルンバ(動くステージ)は動きがスマートになっていたように思うし、どうもどこかで昨年と比較する自分がいて、あの中弛み時間が少なかったなと感じている。
一部が終わり離れた席の羽生結弦ゆるファンである友達からラインが入る。「時々眠くなるんだけど」とある。
「大丈夫だよ。それ普通だから。羽生くん以外を長いと思う人だっているさ」そんな意味合いをラインに返した。羽生くんの濃密な単独公演を先に経験してしまった彼女にしたら当たり前の現象だろうな。
今回のFAOIは羽生くんが2プログラムを演じたことがうれしい驚きだった。それはたぶん羽生くんが望んだことで、単独公演を成し遂げた自信、体力を強化した自信によるのだろう。今の羽生くんが一番上手くて、一番強靭な身体を持っている。羽生結弦の進化は想像を超えていく。ここのところ騒がしかった、プロになることを「引退」とか言う意味を、嘲笑わしてもらってもいいだろうか。
集団競技のプロ野球の選手にいちいちプロとはつけないけれど、個人種目のゴルフ競技は、例えば、池田勇太プロや青木プロと、若手から大御所まで○○プロと呼ぶ。
アマチュアより高度な技術と立場に位置するプロなのだと思う。
羽生結弦に関してはメディアも羽生結弦さん呼び改め、羽生結弦プロでいいんじゃないかと思ったりする。プロフィギュアスケーター羽生結弦なのだから。
FAOI幕張初日、Xを見ていたら「ランビ(ステファンランビエール)の演技終わってもトイレに立つべからず」の業務連絡のようなポストを見つけた。FAOI 2日目、これが伝わっていなかった人がいた模様が映っていて、思わず「今行かないで、次羽生くんだよ」って心の中で呼び止めた。見逃しは悲しすぎる。
現地会場がどよめいた『ダニー・ボーイ』は今年の3月11日を前に、アイスショーnotte stellataで披露されたプログラムだ。
年配の方がよく知っているのではないかと思われる曲かもしれない。歴史のある曲だ。ファンには星野源さん繋がりで知った人が多いのだろう。
羽生くんはコンセプトは「希望」だと言った。左側が過去、右側が未来、中央が現在、そうやって演じたと言った。
希望とは未来に見るものという私が持っていた概念を違う視点で見るようになった羽生くんの言葉であり、ダニー・ボーイだ。
自分がこの先行き着く未来は、未来への希望もまだ持ってはいるのだけれど、その先には絶対に別れを切り離すことはできなくて。ならば過去へ戻れたとしてもそこにも絶対に別れは存在していて。
別れイコール死と考えてしまう年齢に達している自分がいる。
別れ行くとき人は未来への希望を愛する誰かに託し生きた証は受け継がれて、生命は繰り返されて行くのだろうか。慈しみをもって演じられる美しくて柔らかい羽生結弦のダニー・ボーイは最後まで生きる希望を優しく語りかけてきた。過去から未来へと続く希望だ。
アイルランド民謡であったダニー・ボーイにはいくつもの歌詞があるのだという。
戦場に息子を送り出した母の思いはただ生きてと願う。いつになったとしても絶対に帰って来てと願う。わたしは生きてあなたを迎えることはできないかもしれないけれど、それだけがわたしの願いだと。
歌詞には、お墓の中であなたを待つ。私のお墓をあなたが見つけて、あなたの踏みしめる足音を感じたい、のように描かれている。
白い羽生くんが舞うダニーボーイは優しくて祈る巫女のようではあるが、私には母の元に帰ってきた息子のようにも見えた。
僕は帰る。あなたの待つ故郷へきっと帰る。それが僕の生きる希望。
生きて帰れたのか、魂が帰ってきたのかはわからないけれど、羽生くんのスケートを見届けようと思うのに、姿が滲んでしまう。
時代は移ろうが、戦争はどこかで繰り返されている。ダニー・ボーイをたどっていたら、訳詞をしたなかにし礼氏の詩に行きあたった。
『機動戦士ガンダム』を過去に遡って初期画の動画を早足で観た。主人公キラ・ヤマトがまだ何者でもなかった頃の少年から始まる。ガンダムSEEDの一部に過ぎないけれど、キラの苦しみは人間であるナチュラルと遺伝子操作された人間コーディネーターとの対立によるものだ。コーディネーターであるキラはナチュラルの一員として戦いの場にいる。コーディネーター側には大切な親友がいる。どちらにも存在する正義、戦わないと守れないから、不本意な生き方を強いられる。それはやがて覚悟になる。正義だけでもない悪意に翻弄されながら物語は続くのだろう。
羽生くんが西川くんとのコラボによるプログラムにミーティアを選んだ理由を自分なりに理解した。ダニーボーイから機動戦士ガンダムへ、静と動でありながら根底には同じ思いがある。
戦争に限らず理不尽なことは尽きない。
抗えないことがあっても希望は捨てない。
ミーティアの歌詞には羽生くんを彷彿とさせる言葉もあるので、羽生結弦の生き様を見ていると、どうしても被せてしまうけれど、それもまた良しとしよう。
羽生くんが「力をくださいと」頼ってくれるのだとしたら、羽生くんのスケートから力をもらっているファンとしては、ウィンウィンの関係で支え続けよう。
『機動戦士ガンダム』名は知っていても世代がずれていると巡り合うこともない。だけどこの巡り合わせを作ってくれるのが、いつも羽生結弦なのだ。
羽生くんが好きなもの、RE_PRAYに見たゲームも、アニメも、曲も、私には知らない世界のものばかりだったのに。
トリィが羽生くんの肩に乗ってるとその界隈の方たちがXで教えてくれた。トリィとは敵対している親友が作ってくれた鳥のロボットだ。
そして羽生くんの衣装はいつも考え尽くされている。
西川貴教を推す人、ガンダムを推す人、また新たな界隈の人を惹きつけて羽生くんの世界が広がっていく。
西川くん歌う『HIGH PRESSURU』にのって、フィナーレの羽生くんはキレッキレのスケートを見せた。ここまで七変化する羽生結弦を初めて見た人は圧倒されるしかないだろう。今の羽生結弦の底力を見てくれたか。どうだこれが羽生結弦だと、いつものこの言葉がついて出る。
客席を煽って煽って盛り上げる。圧倒的な存在感の羽生くんの輝きがたまらない。
西川くんが「ゆづを制するものだけが」って歌詞変えて歌ってくれたと聞いた。聞き取った人すごいな。
一人スケート界からの「エンタメを制する人」がまだまだ大きくなろうとしている。今年のFAOI幕張は熱い。
キャストもスタッフも観客も皆様の無事を祈りながら、現地もライビューもCSもさあ愛知へ向かおう。
(ひとり言)
西川貴教この人のことを、同県人の身として西川くんと言い続けて久しい。次期滋賀県知事と冗談とも本気ともつかぬゆるさで自他ともに認める彼は、バーチャル知事なるローカル番組を持っていて、イメージがそっち過ぎる私は、その人気を知ってはいたけれど、初生西川くんの声量にもパフォーマンスにもさすがやなと思い、推す人たちの我らが西川貴教なんだとよくわかった。我らが羽生結弦と推す同じ熱さだった。