「トロカマ」とかいう、マグロ様がもたらした貧民のための大トロ。(前編)
いつもよりゆっくり起床して、しばし天井と虚空との間を見つめた後、時間になったらバイトへ向かう。そんな冴えない週末の最終日。ふと時計に目をやると、午前4時を表示していた。およそ人間的ではない時間に頭が冴えていることに嫌悪感を覚えつつ、「魚を食べたい」という強い衝動に襲われた。そうだ、魚を食べよう。
まだ肌寒い5月の朝、財布と何枚かのCDをつかみ、私は車に乗り込んだ。目指すは気仙沼の港。たしか5月にはもうカツオが出ていたんじゃなかったか。思考と知識の破壊エンジン、グーグル様に問えば、気仙沼にカツオがあるかどうかは刹那的に理解されると思われるが、自分で実際に行って正解を確かめるというのも一興ではないか。石油価格が暴力的に高騰している事実から目を背け、ほんの近所までお散歩(^^♪という気分でドライブを開始。なお仙台→気仙沼は約140キロの道のりである。
嘘のように無人と化した広瀬通をひたすら東に向かう。朝日に輝く並木の新緑が、まだ眠気を帯びた目には眩しかった。5月は仙台が最も美しい時期の一つである(私は秋より好きです。なぜなら銀杏とかいう超高濃度大気汚染物質がまかれていないから)
しばらくいって、国道45号に道をとる。仙台から気仙沼を目指す場合、三陸道を使うか、下道でも石巻からは北上川を遡るようにして、内陸を進むのが一般的だろう。しかし私は海を見たかった、だって魚を食べに行くのだから。多賀城、塩釜、松島と順調に駒を進め、この辺りから朝日にきらめく松島湾沿いを北上する。峠を越え、鳴瀬川を渡る。午前6時前には石巻の市街を走っていた。ここまできて空腹を覚えるが、ここは我慢してまずは気仙沼へ。港にいっておいしいものを食べよう。
まだ人通りもまばらな石巻の市街を越え、眼前に迫る牡鹿半島へ挑む。海岸線を進むが、ここからは海を車窓にドライブという趣は無くなり、ひたすらに曲がりくねった山道を越えてゆく。時折、脇へと逸れていく心もとない小道がつけられているが、それは大抵小さな漁港へと続いている。複雑さが集合してむしろ単調となった行程を、右に左に忙しく曲がること小一時間。やっとのことで母恋岬へ到達した。ここは県道398号が地形と共に大きく太平洋へ突き出した場所で、休憩するには絶好の地点と思われた。三方が海へ囲まれた東向きの傾斜地は日当たりもよく、陽の加減もリゾート地を思わせるものであった。どうやらキャンプ場になっているようで、家族連れがテントからはい出し、朝食の炊事を盛んに行っているようだった。その脇をお一人様はすばやく通り抜ける。
ここには「神割崎」という知られた景勝がある。海岸に突き出した岩に大きな割れ目があり、その隙間に打ち寄せた波がぶつかって、派手にしぶきを上げるという、いかにも昭和日本人好みのビューポイントだ。甘酒か瓶入りのコーラでも脇に売っていれば似合いそうだが、そういうものはない。私は観光地の説明版をじっくり読むタイプの人間なので、神割崎が神割である所以をここで知る。
(日本昔話風の音声で) その昔、浜に鯨が打ち上げられたそうな。村人たちは大層喜んだが、その浜は二つの村の境に位置したため、どちらの所有になるかで揉めたそうな。お奉行様に裁可を仰ぐも要領を得ず。数日後のある日、村人が浜へ行くと、なんと岩がパッカーン、と真っ二つに。これを持って当地を神割崎とし、両村の境界となれり。鯨は平和に分割されたそうな。
え?普通に最初から分け合えばよかったんじゃね......
と、思ってしまってはなりませんよ!大事なのは境界を定める根拠(多分に前時代的ですが)が見つかったということです。東北では結構ありがちな話なんですけど、江戸時代は耕地が飛躍的に広がっていく時代ということもあり、「境論争」というのが多発したんですね。村同士だけでなく、仙台藩と盛岡藩、相馬藩の揉め話はよく出てきます。茫漠たる自然の野が、人工的な農地となることで、所有の概念が発生。そんなプロセスを続けた結果、資本主義とかいう経済システムが生まれ、共有の土地や財産は減少し、現代では遺伝子にいたるミクロな領域にまで所有権が適用されるようになりました......(※神割の逸話が本当にそういう解釈かどうかは公式をチェックしてません)
ザッパーンと打ち付ける波を見ていたら、お腹減ってきましたよ。そうでした、魚を食べにいくんでしたわ私。波打ち際に指をつけて、潮をちょっと舐めたら、北上を再開します。
トンネル、がけ、急カーブをいくつか抜けると山と海に挟まれた平野部の南三陸に達する。津波で中心部が壊滅的な被害を受けたこの町も、かさ上げの工事はおおまかに完成し、地割が行われ、町が再形成されつつあった。思ったよりも疲れてしまったので、「南三陸さんさん商店街」で朝飯でも、と思ったがまだ時間が早い。もっとゆっくり見ていきたかったが、「気仙沼まで93キロ」の標識を見て、ハンドルを握る手に汗が浮いてきた。え?気仙沼遠くね。そう、気仙沼は思ったよりも遠いのだ。宮城県内だからと舐めてはいけない。地図を見るとよくわかるが、宮城ー岩手の境界線は海岸に向かって斜め(北東方向)に引かれている。
後ろ髪ひかれる思いで南三陸を後にし、またぐねぐねと曲がりくねった山際の海岸道路をゆく。並走する三陸道を見て、うわぁ、あっちに乗っておけばよかったな、と何度思ったことか。実は三陸道は奥松島から先、気仙沼はおろか青森の八戸までほとんどの区間が無料なのである。私が下道を走っている理由はもうほとんどない。眺望に関しても高架区間の三陸道の方がなんかよさげであるのだ。いや違う。港一つ一つの様子を見ながら時間をかけて気仙沼のカツオを目指すのだ。と、無理やり納得させる。気仙沼はこちら、と書かれたICを見ないふりして直進する様は、もはや意固地の領域であった。
いや、長いよ。かなり長い。カマトロを礼賛する文章のはずだったのに、旅行記と化し、文章も冗長になりつつある。でも、南三陸を出てからさらに2時間くらい走ったということはここに明記しておきたい。
と、いうことで、ガソリンメーターの減り具合に比例して私の元気もなくなりかけた。。到着しましたのは気仙沼。海岸線が内陸に深く湾入し、大島という島が湾口に蓋をするような格好のこの港町は、沖合に豊かな漁場を擁し、まさしく天然の良港である。カツオの水揚げ量は日本一。海からのおいしいものが集う街。
早速お魚市場へ向かう。これとは別に「気仙沼魚市場」もあるが、観光客はこちらに行くのがいいんですかね。場内は日曜日ということもあり、それなりに買い物客でにぎわっていた。海産物の香りが強く漂うなかに、イカ、ヒラメ、マグロ、ホヤといったものが目に付く。どれもキラキラと光を乱反射し、宝石のようだ。食ってみなくても旨いであろうことは容易に察せられた。しかし、肝心の「カツオ」の姿がない。テラテラと光り、飛行機の機体を思わせるあの銀色の身が見当たらないのだ。(続く)