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「トロカマ」とかいう、マグロ様がもたらした貧民のための大トロ。(後編)

さて、この記事はマグロの希少部位である「トロカマ」を食し、これを礼賛するものである。

タイトルに後編とあるが、無論前編の記事もある。しかし、それはいい。結局世の中で求められるものは結果であり、過程はどうでもよかったりする。また、ぐずぐずと結論を言わず、経緯や背景を回りくどく説明した後に、やっと曖昧な結論のような何かを述べるのが、一般に批判されがちな日本人の話し方でもある。私が書いた前編の記事はこの日本人の旧弊に則って、気仙沼へカツオを見つけにいく旅の模様をだらだらと記した、三文小説まがいの何かである。
↓それでも、経緯や背景を重視する純日本語話者的発想を大事にする人はどうぞ。
https://note.com/lucky_tern102/n/n968adfcf5c64


さて、私はしっとりとした肉質に、深い旨味をたっぷり湛えたカツオを思い浮かべて、カツオ水揚げ量日本一の気仙沼を目指したが、ついにそのカツオと対面することはできなかった。市場のお姉さまいわく、「南の方ではぼちぼち入ってきたみたいだけど、ここはまだね。あなた、若干早かったわね」と。そう、私は緊張の決勝戦のごとく、絶妙なフライングをかましてしまったのだ。審判たる大海原は、この私の不義に満ちた誤りを見逃さなかった。

落胆の念をどうにか腹の底に収め、売り場の他の選択肢に目を遣る。ヒラメ、煮つけか。カツオとはまた違う方向性だが悪くない。仙台の夜はまだ微妙に寒いので、これを肴に日本酒をキメるのも乙というものだろう。ホヤ、刺身か。この赤い手りゅう弾のような形状の珍味を、私は私なりに愛している。独特な酸味をハイボールで爽快に流し込めば、幸せの時間になるだろう。しかし、何か決め手に欠ける。と、ここで「今日のお得コーナー」なる箇所に目が向いた。

500円という値札が貼られたトレーには、白っぽい肉片がどっさり詰まっていた。そうだ、今日はこれを食べてみよう。

細切れ状態ではなく、カマ全体そのままの姿で売っていることもある。

ということで、買いました。気仙沼産のメカジキ。の、カマです。
カマはエラの胴側に位置し、魚から頭を落とす際に胴から切り分けられる部位である。大半は骨と皮が占めているが、肉もかなりくっついており、食べ応えは十分。ちなみに、切り分けた際に草刈りで使う鎌に似た形になることから、カマと呼ばれるそう。豚で言うマメ(腎臓)みたいな感じっすね。

なんだ、要はマグロの端肉じゃないか、と侮るなかれ。カマは大トロの真横の部位であり、ほどよく脂が入り、特に食味に優れた肉をくっつけている。焼き魚も骨の周りにくっついた肉が旨かったりするように、こいつも端っこ者ならではの旨さがあるに違いない。そしてなんといっても、安いということが最大の魅力だろう。これだけ入って500円である。刺身を500円分じゃあ、かなり味気ない感じになってしまうだろうが、この量なら十分賑やかな食卓になることだろう。トロカマ、それはさながら貧乏人を憐れんだ、慈悲深きマグロ様による救済。「貧民のための大トロ」といえよう。(やっとタイトル回収。)

帰宅。三陸道で。(詳しくは前編をチェック!)

では、調理にとりかかる。
今日はこの1パックを三等分し、煮つけ、塩焼き、みそ漬け焼きと、いろんな可能性を探ってみたい。
まずは共通の下処理で、臭みを抜いていく。日本津々浦々の厨房から生み出されし食卓の知識共有体「cookpad」様によれば、粗塩を振り、80~90℃のお湯で洗い流すのがセオリーのようだ。沸騰した100℃のお湯をかけると、皮が縮み、身も崩れていくとのことで、要注意。沸騰直前くらいの湯で洗い流してやるのが肝心だ。

下処理が済んだら、味噌漬けに取りかかろう。ジップロックにミソ、酒、みりん、しょうが、砂糖少々を加え、万遍なくかきまぜたところに、身を入れる。あとは冷蔵庫で数時間寝かせ、グリルで焼くだけ。が、いかんせん全部食べるのは多すぎだろう。これは明日のお昼ごはんにまわす。

次に煮つけをば。これも非常に簡単。鍋に酒、しょうゆ、しょうが、みりん、砂糖、のいつものセットを加え、ネギの青い部分を浮かべたら、ひと煮立ちさせ、身を加える。落し蓋をして、汁が三分の一程度になるまでとろ火で煮ましょう。
そして、塩焼き。これはもう本当にシンプル。塩を気持ち多めに刷り込んだら、グリルに並べて、食べる前に焼いていく。弱火でじっくり火を通すと柔らかくなるようです。

白米を炊飯器にセットし、味噌汁を適当にこしらえたら、あとは幸せの時間をただ待つのみ。この待ち時間にYoutubeを見るのか、課題とにらめっこするのか、それとも落ち着いて音楽を聴くのか、どのような過ごし方をするかで、その人の人生が分かるというもの。生活RTA厨の私は風呂に入って、髪を乾かしながら洗濯物をたたんで、ゴミを捨てに行きました。なんと落ち着きのないことか。

「ピーッ!」
炊飯器が晩餐の準備完了を告げ、私は品々を器に盛る。白米に味噌汁はたっぷりと。サクっと仕込んだおしんこも切って並べ、カマの煮つけ&塩焼きには白髪ネギとネギ塩だれを添えた。冷えたグラスにビールを注いだら、海への感謝を胸に両手を合わせる。

「いただきます」(半眼で)

まずはビールを一口。ごくり、というのど越しの音は、祭りの始まりを諸消化器官に通達する役目を持つ。う”ま”い”

さてさて、ではまず煮つけに箸をつけるとしようか。柔らかさは絶妙な
程度で、ほろりと剥がれる。我ながらうまくできた。ほどよい弾力の食感で、味はタンパクながらも、かなりしっかりと脂はのっており、ふくよかな旨味が口中に充たされた。トロトロ感が今少し足りないので、もう少し砂糖を加えてもよかったかな。白髪ネギが歯ごたえにリズムを加える。
次に塩焼きを。この食べ方は、過去にBBQでマグロの頭をまるまる焼いたことがあり、なんとなく想像はできる。外面には若干の焦げ付きが認められるも、サクっという食感の次に、柔らかく、歯が肉に突き立った。なるほど、こちらの方がマグロの脂をそのまま味わうかのようであり、美味である。良い素材には複雑な調理を加えない方がいいように、個人的には塩焼きの方がシンプルにマグロの旨みを楽しめると感じた。課題があるとすれば、しっかり焼きすぎたことだろう。表面を強めに焼き付け、中を少し生にしておけば、なお良かったかもしれない。レモンもあればなおうれしい。

味の沁みたマグロの肉塊を白米に打ち付けて、口に含ませる。味噌汁で味を、おしんこで歯ごたえを適宜リセットしつつ、再びマグロを貪るという連環は完璧に美しいものだった。カマは骨の部分が多いものの、その隙間にある肉をほじくり返してしゃぶるように食べるというのも野趣があっていい。また、食べられないと思っていた皮の部分も、プルンとした、鶏皮のような食感に仕上がっており、全体に重要なアクセントを加えてくれた。

満足である。「魚を食べたい」という原始的な欲求は十分に満たされた。空になったグラスに日本酒を注ぎなおし、ダラダラと身をつつく。こうして、夜は更けていった。。



さて、みそ漬け焼きの感想も簡単に記しておく。

前日につけたマグロの身は少し黒ずんだような色になっていた。みそを丹念に取り除き、油を敷いたフライパンでよく焼く。みそが焦げると見た目がアレなので、十分に注意されたい。つけタレのミソは捨てるに忍びないので、刻んだ白菜をぶちこんで、味噌汁とした。
塩焼きに比べて、しょっぱさが若干まろやかである気がした。みその香りもしっかりしみ込んだが、塩焼きと比べてどちらがより良いかは分からなかった。カマが少し臭うなと思ったら、みそでつけるのがいいのかな。
ところで、つけダレを味噌汁として再就職させたが、この汁が思いの外うまかった。マグロの脂がうっすらとみそに溶けたのか、すばらしい香りの汁になった。海鮮で出汁をとった汁はなんでもうまいよね、海を感じます。


終わり




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