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『消えない記憶』
『消えない記憶』
深夜十一時。 オフィスのデスクに向かいながら、私は彼の気配を感じていた。 半透明のパーティションの向こう、残業する部長の姿が、時折目に入る。
今朝、出社前に選んだ下着は、いつもと違った。 真紅のレースに、黒のガーターベルト。 普段の私からは想像もつかない、妖艶な下着たち。 鏡の前で、自分でも驚くような大胆な選択をした時から、今日は特別な日になると感じていた。
「まだ帰らないんですか?」 声を掛けられて、思わず背筋が伸びる。 デスクの前に立つ部長の、整った横顔。 夜の闇に溶けるような、深いネイビーのスーツ。
「は、はい。あと少しだけ...」 声が震えるのを、必死に抑える。 机の下で、ガーターベルトが内腿を締め付けた。
「無理はしないように」 彼が私の肩に触れた瞬間、 声にならない吐息が、唇からこぼれそうになる。 その指が、シルクのブラウスの上から、ゆっくりと首筋まで這い上がる。
「部長...」 けれど、言葉は宙に消えた。 蛍光灯の明かりが、突然消える。 夜間の節電タイマーだと気づくまでに、 彼の吐息が、すでに私の耳に届いていた。
「今日のあなた、いつもと違う」 耳元での囁きに、全身が震えた。 部長の手が、私の髪を優しく解いていく。 オフィスの闇の中、 かすかな街明かりだけが、 秘密の逢瀬を見守っている。
「立てますか?」 その問いの意味が分かるまでに、 彼の手が、私の腰を支えていた。 デスクから立ち上がる時、 スカートのスリットが、大きく割れる。 黒いストッキングの向こうで、 ガーターベルトのラインが、 かすかに浮かび上がっているはず。
エレベーターまでの廊下。 私のヒールの音だけが、 静寂を切り裂いていく。 背後から聞こえる、彼の足音。 追いつかれたい衝動と、 逃げ切りたい理性が、 私の中で葛藤を繰り返す。
エレベーターのボタンを押す指が、 微かに震えていた。 扉が開くまでの数秒が、永遠のように感じられる。
「どうぞ」 背後から促される声に従って、 私は銀色の箱の中へと足を踏み入れた。 かすかな香りを残して。
扉が閉まる。 二人きりの空間。 上昇する密室の中で、 私たちは互いの呼吸を感じていた。
彼が、ゆっくりと私の背後に立つ。 「今日は、随分と大胆なようですね」 その言葉に、頬が熱くなる。 朝、選んだ下着のことを、 彼が知っているはずもないのに。
部長の指が、後ろから腰に触れる。 「あぁ...」 思わず漏れた吐息が、 暗がりの中で色を帯びていく。 スカートの上から、 ゆっくりと...ゆっくりと... 指先が内側へと移動していく。
「部長...私...」 けれど、残りの言葉は、 彼の唇で封じられた。 首筋に落ちる熱い吐息。 シルクのブラウスの下で、 私の肌が、ゆっくりと目覚めていく。
24...25...26... 上昇する数字と共に、 理性が、少しずつ溶けていく。
突然、エレベーターが停止する。 27階。 扉が開く直前、 彼の声が耳元で囁いた。
「このまま...家まで」
私は、小さく頷いていた。 この夜が、どんな結末を迎えるのか、 すでに、心の奥底で分かっていた。