見出し画像

《オートバイ》西日本一周の旅(6)

コラム『あまのじゃく』1953/5/16 発行 
文化新聞  No. 711


夜はホタルイカの名所に仮泊
210円で宇奈月温泉を堪能

    主幹 吉 田 金 八

 11日朝糸魚川手前早川鉄橋下の宿営地を出発しようとしたら、前輪タイヤのエアが甘い。
 これは長野市で中古のタイヤを2000円で奮発した際、その店で取り替えてくれたチューブに小穴でもあったかも知れない。長旅は色々と苦労の堪えぬものである。
 それにキャブレターにゴミでも詰まったのか、エンジンも思わしい調子が出ない。
 午前9時、天幕を畳んで出発。糸魚川まで約4キロ徐行して、タイヤ修理屋で前輪のチューブを点検してもらうと、果たせるかな気の付かぬくらいの小穴が3カ所もあることを発見、チューブを焼き付けしている間に、気化器の分解手入れと前報の原稿を書く。
 1時半、糸魚川を出発。ガソリンを10リッター補給。車の調子はようやく普通に戻ったようだ。
 これからの道は日本海の断崖絶壁に沿って海岸線をうねうねと上下する。
 道路は砂利道だが交通量が少ないので割と平坦、ただし、道路のど真ん中でトラックが積み荷の上げ下ろしをやっていて、こちらから車が行っても別に慌てた風もなく、気長にエンヤコラやっているのには閉口、それほどのんびりしているわけだ。
 お天気は上々、親知らずの難所も道は遥か高い岸壁の中腹まで引き上がっているが、昔ここを通行する旅人が、波の打ち寄せる合間に波打ち際を,子は親を省みる暇もなく命がけで通ったのに比すれば容易なものである。
 ここを通り過ぎて数キロ、市振泊間が新潟・富山の県境である。
 富山に入ると俄然夏らしく初夏の日光がジリジリ照り付け道路に敷いた真っ白い砂利が眼に痛いほどしみる。
 女房の顔も強烈な日照りに赤黒く腫れ上がって、まるで眼の周りが原爆のケロイドのようだ。
 櫻井町の入り口で四,5百メートルもある大きな川に差し掛かる。途中三か所も自動車の待避所のある長い長い木橋である。橋際に居合わせた土工さんに側の名を問えば、有名な黒部川であった。
 雪解けの水は笹濁りで水量は非常に多い。
 黒部川で思い出して桜井町より電鉄に沿って宇奈月温泉を探勝する。
 約18キロの中間、大きな発電所があるとこまでは平凡な野良風景だが、その発電所から段々渓谷の風情が深くなる。
 音に聞こえた宇奈月温泉も鬼怒川温泉と大差ない。
 中・高学生の団体で混み合う安旅館で、入浴したが、くつろぐ部屋がないと言うので、帳場でビールを1本飲んだ。勘定が210円、入浴だけならお一人宛て十円だと言う。
 駅前のパチンコ屋の小娘を案内させて、こんなに安直な店を見つけるのは記者の最も得意とするところである。
 湯上りにビールの酔いがほんのり、濡れたタオルをサイドヵーの後部に旗の如くなびかせて、また櫻井町に戻る。更に北陸本線に沿ってしばらく行く。富山県は少ない面積に人口が折り重なっていると見えて、村々の間はほんの5分か10分で通り抜けられる。
 しかも、一里おき、二里おきに4千、5千の市街が連なっている。市街はほとんどアスハルト舗装、市街を出はずれても白い小砂利と粘土を混ぜて引いてあるので、生半可なコンクリート舗装位に固く平らである。
 桜井の町では、昨年10月完成したアスファルトが急な暑さで溶けて子供のゴム靴の跡がつくほど柔らかくなっていた。
 キャンディー屋さんが昨日あたりから急に店開きしたとの事。
 魚津海岸で天然記念物のホタルイカの地引網の夜景を見られる場所がキャンプに好適なので、そこの海岸にオートバイを風よけの壁体にして、天幕を張る。
 8時ごろになると海岸に数カ所大かがり火を燃やして、200メートルほどの沖合に張ってある定置網を数隻の漁船が八丁櫓でエイホーの掛け声をかけ捕獲するらしい。
 疲れてしまってこの名物も、ただ漁夫の掛け声や子供の歓声を幕舎の外に聞いたのみで寝入りについてしまった。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?