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親切の行きがかり

コラム『あまのじゃく』1959/3/8 発行
文化新聞  No. 3191


半能電話⁈の不満 どこへぶっける⁈

    主幹 吉 田 金 八

 東京から印刷インクが小口運送で届いたが、その運送会社が北多摩運送とかで顔なじみでない。
 現在飯能市に出入りする小口運送の会社は地元の武蔵貨物、大和運輸、武蔵野通運、八高通運、埼北貨物、外来では西多摩運送などの諸社だが、今日のは北多摩運送というトラックであった。 荷物の中に西武編織という名宛ての物があり「これはどこでしょうか」と土地不案内な助手から尋ねられた。
 宛先に『飯能市永町』とあったところから、永田の細田栄蔵氏の構内に経メリヤスの工場が昨秋から発足しているのを耳にしていたので、多分それだろうとは思ったが、万一違ったとなると2、3キロの道を無駄足させることになり、そこは親切に生まれている私は「ちょっと待って。電話で聞いてやるから」と信号を回した。
 受話器を耳に当てると乙番(甲、乙二本で共有していた)の埼北貨物が何やら通話中で、それが済むのを待ってまた信号、局が出たから番号案内『500番』で細田さんの番号を聞こうしたが、いつまで待っても梨の礫。
 また、信号、今度は男の声が出たので交換手にしてはおかしいと思って『どちらですか?』と掛けた方から聞くのも可笑しな質問をすれば『木下織物工場です』という始末。
 本来、電話局では番号を言わなければ繋がらない訳で、『飯能も千本近く本数があるのだから、いちいち番号は覚えられません』というのが局の言い分であり、これは当然過ぎるほど当然の話。
 しかし『500番』を受けて出ないところを見れば、ちょうど昼時で番号案内の台の人がいないのかもしれないと、先日交換局を見学した記者は察し、今度はベルを鳴らしていきなり「永田の細田栄蔵さんに願います」とやったら、別に苦情を言われるのでもなくなく相手が出た。
 奥さんか女中さんかと思ったら、いきなり細田栄蔵氏の声らしいので「先生ですか?」と聞けば「そうです」との事、これで話は通じて西武編織というの同氏工場跡に発足した新会社であることが確かめられた。
 その間、信号を回すこと前後10回位、ちょっとした親切な積りでやった事が、なかなか大変なサービスになってしまって、こちらは血圧が10くらいは上がりそうな精神・肉体の負担を背負わされてしまった。助手君も全く済まなそうな顔で、それでも助かったという気持ちを十分に表して礼を言って去ったが、全く飯能の電話は困りものである。
 ちょうど昼の食事時で、子供達もそばにいたが「飯能局の交換手はなっていないと先生も言ってた」と高校に行っている長女、「でも忙しいんだから仕方がない、と中学の先生は言っていた」これは一中の次女。
 「うちは甲乙番号があるから余計だが、街中でどこへ行っても避難轟々だ」これは聊か社会を聞きかじってる高校浪人の次男の言う事である。  
 そこで親父が結論っぽいことを言わざるを得ないことになり、
『機械もダメだが人間もダメだ。特に機械のせいにしている傾向が強い。何も手動交換機は近年できた訳のものではなく、50年も前から同じ事を繰り返しているのだが、今まで一回の通話に5回も10回も信号を回さなければならない様な事はなかったはずだ。 父ちゃんは世間師で日本中どこも歩いたが、こん所はどこにもない。飯能の文化と経済の発展を10年間遅らせたものは、実に飯能電話の責任である。
 しかし、電通省に予算がないとあるからには下駄を買うように自動化するわけにはいくまいから現在の機械を人間の努力と技術で100%効力を発揮する以外はない。交換手一人の受け持ちは80本なので、これは全国どこの交換台も同じである。ただ、中継するのが10台もあると混雑すぎて容易ではないが、お話し中で線がふさがっていない限り、一度の通話にこんな手数がかかる訳もない。
 また、800本の電話が自動交換台でこなし切れるか切れないか、データがある訳で、あの理論と杓子定規の電通省がこれを行っている以上、こなし切れることの目安があって現状になったとより考えられない。
 また、人間技では不可能のものならば、直接お客から苦情やお叱りを受ける立場の従業員、労働組合から「とてもこんな無理な仕事は引き受けられません」と文句が出て、ストライキがあってしかるべきである。
 公共事業の労働組合は賃上げや労働条件ばかりが争議の目標であって良い訳ではなく、社会公共へのサービスが言語に絶し、これを補うためには人間技以上の精魂が消耗されるという結論が出たら、加入者とともに設備改善の要求でストをしても少しも差し支えない。
 それらしいことを聞かないからには、何とか程よいサービス可能の施設を考えるより他はない。そうなると結局交換手が不熟練か不熱心ということになる。勿論、十台の交換台を手動で連結させることは無理だが、これを機械と施設の責任に転嫁している事は加入者とすれば嘆かわしい話である』
 と腹立ちまぎれの結論をつけた。
 それから、東電では結婚した女子職員は退職してもらうことを通告した問題。郵便局や電話局には女子職員が結婚しても退職するものは稀で、子供を三人、五人と生む前後には出産休暇を十分とって、おそらく50歳、60歳になるまで辞める者はないだろう。また、使用者が退職を迫ろうものなら労組が承知しそうもない事。下手な男より女の方が給料が多い事。
 最低賃金法が実施されたらどこの事業会社も半端人間を使うのを嫌って、優秀な人間でなければ採用しなくなるであろう事。
 頭の悪い、手の不器用な人間はどこでも使い手がなくなって、最低賃金の就職を受けるために職業学校が乱立されて、賃金はおろか毎月三千円からの月謝を払って就職の機会を待つ人の群れが増えるだろうという事。
 最近の子供は社会のことをよく知っているので、いろんな子供らしい疑問を提起して来たのには親父も返答に窮してしまった。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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