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盗人と学校

コラム『あまのじゃく』1951/8/10 発行 
文化新聞  No. 139


立派な建物だから‥‥狙われる?

        主幹 吉 田 金 八

 2か月余りの間に3度も盗人に見舞われた中学校がある。
 記者が訪問すると校長や教頭が盛んに恐縮して、学校としていかに戸締りを厳重にしてあるか、宿直員を4名に増員して毎夜校内を循環していたかを弁解的に説明する。
 「もうこれ以上は 窓に全部鉄棒でもはめ込まなければ、やり様がありません」と。
 「学校が立派だから泥棒が良い品物があると思って目をつけるのでしょうか」これは教頭の弁である。
 何百何千とある窓のネジ鍵をかけるだけでも容易なことでは無い。加えてこれらを注意したり、いつ来るかもしれない盗人を待ち受け、警戒しなければならぬとあれば、先生たちは財産保全にのみ気をとられて、本来の教育がおろそかになってしまうのではないか。
 四六時中緩みのない、緊張を要する警戒の側と、緊張の間隙を狙って攻撃する側のどちらに分があるかと言えば、断然攻撃の方が楽である。
 「攻むるは易く守るは難い」とは兵書の示す通りである。
 「むしろ盗まれるような大切なものは全部追放して、窓を解放して盗人はどこからでもお入りなさいが良いではないか」これは無防備こそ最大の防衛であると信じる記者の提案である。
 学校は事業所や博物館と違って、本来盗まれるような財産的価値のある物品はなくて良いはずだ。
 学校の金庫に大金が蓄えられてある方が不思議と言わねばならない。雨露がしのげて、黒板と机・椅子があり、後は教師の教育に対する情熱と学識さえあれば、中学校としては完全ではないだろうか。
 県下最大を誇り、建物さえ立派にできれば、学校教育は完成されたと盲信するこの町の町長の唯物教育観は、各方面に精神分裂症的問題を発生させている。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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