タイミング悪い時期に無視して就職を強硬突破した先に待っていた最悪の出来事

こんにちは。
今日は朝からながーーーーーい2本の直線の雲を
見ました。
なんかメッセージ性を感じましたが、
私が期待していた竜神雲などでは
なかったようです。

さて、めちゃくちゃ他人軸、
特に身近な母親の顔色を窺って
母に積極的に意見を求めて、
それにあわせますよ、服従しますよ
という姿勢を見せることによって
その場の空気を穏便に保っていた昔の私の話です。


自分が精神的に病み上がりで、
活動の準備が整っていないのに、
大学4年生の頃は4月5月になると
就職が決まる学友たちが
増え始めます。
他人の動きに合わせて、
私も急に!
ビジョンもないのに!
希望職種も描けていないのに!

就職活動を始めました。

まあ、ベットから起きれるようにはなっていたし、
偽の復活状態ですよね。
復活を装って
就職活動をしました。

そのころ、時代は就職超氷河期。
就職超氷河期というと、
働きたいと希望する人に対して、
企業が、「いや、来ないでください」
「新しい人は不要です」
という状況の事です。

これが、未だに
私の人生に暗い影を落としている事。
忘れずに書きたいと思います。

この時は、好きなことは
趣味だからと追いやり、
本当に好きではなく、
自分が得意なこと、できること、
スキルということで英語を
頑張っていました。
英語を頑張ることが評価につながる
語学系の大学でしたから、
大学生になっても
ノートびっしり英語を
めちゃくちゃ勉強していました。

そして、下準備も親のアドバイスも何もなく、
誰のアドバイスもなく。
ただ、有名な企業に。
OGが就職する弁護士事務所に
就活をしていました。
ひっかかっているのは
志望動機。
志望動機がない。

それは、事実ですよね。
私の本当にやりたいことではなくて、
やらなければいけないことだと
思って、職をGETしようと
していた訳です。

職をGETするのは、
親に喜ばれるからです。
親に安心させてあげられるからです。
親に認められるからです。

そこに希望や未来はなく、
義務として就職活動をしました。

天の神様から、
というより自分のハイヤーセルフということが
今わかりましたが、
がしーんとダメ出しが
来ていましたね。

世の中就職超氷河期。
OGが多数所属する弁護士事務所、不採用。✖
というか全滅。
あれ。
じゃあ、有名商社。✖
全滅。

希望者が殺到し、最初の基礎テストで振り落とされ
チャンスがない。
あれれ。
もうなんでもいいや。
どこでも。
メーカー。✖
非営利団体。✖
あれれれれ。
30社ぐらい転々して。オール✖

今覚えているのは、
もう会社名ではありません。
色々受けて落ちすぎて。
採用試験で英語を頑張ってきた
私だったはずなのに。
つるかめ算をとかされるような
業種の採用試験で
何やってんだ、私。

となり、笑うしかなかった。
途方に暮れ、
8月の頃になって周りがすっかり
「就職きまったよー」
となっているなか、
最後の説明会を
学校の学生生活課に探してもらって
採用してもらったのです。

それは、メーカーでした。
後に、主人と職場結婚する
会社です。

就職活動仕切り直しというか、
一回やめればよかったのに。
とにかく我を失って、
なんとか卒業後の新卒にこだわったのは
親の意見。

固定観念。

卒業したら、就職という
人生の流れに、
ブランク、休み、などが
自分的に認めてあげられなかった。

焦って掴んだ職場。

しかも、あれだけ頑張って4大を出たのに。
4大卒は、総合職として高いお給料もらえるんじゃなかったっけ?
こうやって親に言われて、
1日8時間勉強して
大学に入学したんだったよね。

結果は、一般職。
サブ的な役割の事務員として
英語と全く関係のない電気メーカーの
事務。
お給料も同期より低い。

この後悔をずーっと15年以上は引きずりました。

ココがポイントです。
やっぱり選択自体が
本来の私でない選び方なのです。
誰かのために、
誰かの顔色をうかがって進んできた
道がまちがっていますよ。
というメッセージを
ずーーーーーーっと強制終了が
入るまで送り続けられていたとは知らず。

そう進んでいくものだと
信じ込ませて、
新人研修を受けました。

英語の、孤高の詩人バイロンを
研究してきた私が、
最初にぶつかった壁。

周りの同期は、電気機器学科卒、電気工学科卒など。
私は英文学科卒。

研修では、業務上必須になってくる知識として
人間の人体の血液の循環、静脈が心臓からどうやって
でて
カテーテルの話など。

ちんぷんかんぷんで、一気に劣等生扱いでした。

優等生キャラのメンツ丸つぶれです。

卑屈。

有名な大学を1日8時間のガリ勉の末への
入学を勝ち取った優秀キャラを演じていた私が、
人間のからだの仕組みなど
興味のないことをやらされ、
できなかったら使えない社員設定。

大転落です。

すぐやめればよかったのです。
合わないし。

それを許さなかった。

投げ出してはいけない
継続は力なり。
努力は必ず報われると信じて
語学やピアノを頑張ってきたんだから。

心臓の経路、動脈、静脈だって
努力が足りないだけでしょ。
努力して学ばなきゃ。
そんな風におしりを鞭でたたいて。

本当は横のつながりで
心通いあうはずの同期とも
なんか浮いてしまい。
仲間がいなかった。
仲間がいたのかもしれないけれど、
どこかに私はあなたたちとは違う。
という気持ちがあったのかもしれない。

こうして、味方なしの状態で入った後、
さらに先輩お局社員からの新人いじめや
パワハラに遭いました。

さっさとやめないと!と
いろんな揺さぶりが、
いろんな事件が
私を守ろうとしてくれていたのに。
気づかないってこういうことですよね。

逆に自分が努力することで認められると
必死に頑張ってしまいました。

私が、その職場=人事部に
はいることで、その職場を追い出された
社員がいたらしいのです。

本来それは、私の知ったことではありません。

何を思ったのか、
その社員は私に八つ当たりをしたのです。

人員管理のPC操作で引き継ぎをするとき、
新入社員の私に対して、その鬼先輩は
「一回で覚えるように!!」
と叫びました。

無理っ。だるっ。
今なら言えますが。

初々しい私は、シュンと
耐えてしまいました。

2階職場にいた私が、教わった通りにPCの操作をしていたら、
PC画面が共有されており、1つでも間違えると
1階から、ズンズンドンドンとヒールで
感情的にあがってきて
2階の私のフロアで大声でヒステリックに𠮟りつけました。
(ってことは、自分の業務そっちのけで私の監視をしていたんでしょうね。恨み節恐ろしい。すぐ下の階から上がってきて「今、なに入力した?」
と激怒されましたね。)

周りは誰も助けるどころか、
この新人はひどい、
使えない人間かと思っているように
思えて心を誰にも
この辛い気持ちを誰もわかってくれなかった
ことが、今でも涙があふれるぐらい
本当にひどい人です。

こうして、私が周りに色々心を開けなかったことで
様々な人たちに誤解を与え、
冷たくあしらわれたり、
私が望むような
心温まる心の交流ができませんでした。

そのひどい鬼先輩は、
私が5年半後に退職したのち
人事部に復帰を果たしたそうです。

執念が恐ろしいです。

最後に誤解を解けましたが、
またひどい目に遭いました。

私の人事部の一緒の職場の
男性社員はイケメンでした。
私のタイプではなかったけれど、
1階の受付嬢と付き合っていたらしいのです。

知ったこっちゃないわ。

私が、受付嬢に会議室の予約を
入れる仕事だったのです。

すると、勝手に彼氏が新人の女と一緒にいる
からなのか敵対視されて、
イチイチやりづらかったです。

受付嬢ごときに、立派な4年生大学を猛勉強をして
卒業した私が、受付に叱られ、
鬼先輩から「一回で覚えるように」
と言われたり、そのヒステリーな様子に
周りの社員も私に近づこうとせず、
トイレで影口をいわれているのも
聞いてしまったり。
古典的な嫌がらせがたくさんありました。

この会社、辛かったのに
母の考えに従ってしまい。

「あんまり頻繁に辞めても信用を失う。
次の職場で、職場を転々とするやつと
思われたりするから、最低5年は頑張れ」
などいわれ、したがっていました。

5年半もしがみつきました。
合っていなかったのに。

今もまだ根に持っています。
何で私の味方をしてくれなかったのか。
合わなくて苦しんでいる娘に、
お前になにか問題があるんだ。
対人関係うまくやれないお前が悪い。
5年は頑張れ!
なんて、誤解もいいところだ。

これはこれでね。
あとですごい気づきがあったのですが、
母がどうだこうだ。
わかってくれていなかった
やめさせてくれなかった
のではなく
私が私をひどく扱っていたのですね。

すぐやめてよかったんです。
逃げてよかった。私のために。

それを世間体のために
耐えてしまったから。

自分が超怒っていたんです。

本当にこの扱いでいいのかよ?
おい、本当にこんな扱いを許していいのかよ、
おい。
こんなこともあるぜ、
こんなやつらなんだよ、周りが。
それでいいのかよ?
違うだろ。
勘弁してくれよ。
やめてくれよ
離れて本当に好きなことに戻ってくれよ
ってね。

本当にごめんなさい私。

でも、よくがんばったよね。

5年間も工夫したり、処世術見つけて
職場じゃなく、他の職場の人と仲良くなろうとしたりね、
優しい人とつながったりね。
スキー仲間もできたりね。
私なりに頑張って、いいこともあったよね。

何より皮肉なことに
私をひどい目に遭わせたこの会社で
私は今の夫と出会いました。
今、私が生活を豊かにできているのは
私には合っていなかった会社による
お給金のおかげでもあるんですね。

だから、会社に恨む?
あの鬼先輩?
受付嬢とできている私の上司?
悪口をいった同僚?
助けてくれなかった部長?
PCが壊れて、聞こえるように「壊したの新人じゃない?」
などと嫌味をいういじわる鬼先輩?


じゃない。

それは、私に本当の道を知らせるために
怒った悪いことばかりの現象であり、
正しい本来の道に
いきなさーい!というお叱りの
現象であり。
その人たちが悪いわけではなかった。

私が、そのひどい扱いを甘んじて
受け続けていた状態に対して、
気づけよ、のサインだったんですね。

もっとわかりやすくいうと、
このままここに居続けたら、
あなたの扱いは、ひどいままだよ。
離れなさい、動きなさい
というメッセージです。

どうなったと思いますか。
あの時の私は動かなかったんです。
5年半の間。

そしたら、
夫の海外転勤が決まり、
会社の規定的に海外駐在員の妻は
働けないため、
強制的に退職となりました。

今思うとバカだった私は、
夫の転勤が決まっても、
夫は単身で海外に行き、
日本に残って働く気持ちを持っていました。

もう、天なのか、守護の存在なのか
あきれたでしょうね。

最後は当時の上司から
多分「辞めさせないといけない」
と思われていたんでしょうね。
仕事を減らされました。
私だけ仕事がなく、
残業もなく
私だけ定時上がり。
疎外感を感じさせられ、
文房具の発注みたいな業務をし、
「仕事ありませんか」
と直談判しても、
「仕事というのは自分で探すものだ」
などとその上司がいってきて
居場所がなく散々でしたね。

ようやく、というか最後まで気づかなかった。
いよいよ海外転勤のための
準備が始まり、退職を決意。

退職を決めてからもさらに
その職場の部長が、「やめます」
といってあったにも関わらず、
有給消化もあるので
早めに後任の方に引き継ぎたいと
いったにもかかわらず、後任を決めず。

仕方がないから、マニュアルを作って
準備をしておきましたが、

いよいよ、もう時間がないという状態で
常勤の60歳越えのおばあさんに
引き継ぐことになり、
私は親切なことをしてあげたとおもって
ファイルをプリントして
「これがマニュアルです」
といって気持ちよく退職したかったのに、
返ってきた言葉は唖然としました。

「私は、もうおばあさんなので
このマニュアルわからないんですけれど!!」
と文句。

図解までつけてあげて、この上ない親切な私の
作業をけなされた。責められた。

なんだと思えば。

ファイルメニュ→右クリック→開くの
コマンドをイチイチ
マニュアルに足してくれ!!

と真顔でクレームしてくる。

もう時間的に無理!

で、ヒーヒーいいながら、でも
最後の最後まで自分を傷つく環境であったにも
関わらずしがみついてでももう強制的に
環境が無理で退職しました。

Z世代だったら、「無理っ」
「だるっ」って今気楽に言えますよね。

今なら、私は何かあったらすぐ言うようにしています。
自分に理不尽な要求は受け入れる必要がないのです。

いやぁここは今思い出しても泣けて
きます。

あの部長がもっと早くこのおばさんを
後任にしていたら、
隣に座って丁寧に教えてあげられたのに、
時間がラスト1日になって、
最終日、文句を言われて5年半の就業生活が
終わった。

それを相手に「部長が悪い」とも
ぶつけられなかった。
結局最後までひどい体験だった。

今自分を取り戻して書いていますが、
いやぁ強烈でしたね。

自分をごまかし、自分を偽って
生き続けるとこんなひどいことばかり
引き寄せるこの恐ろしさ。

もう2度と体験したくない壮絶な職場いじめの
数々。
自分の叫びを無視し、他人のために
頑張り続けた末路です。
よく向きあいました。

この文章をここまで
お読みいただいている人の中で
辛いことばかり。
私の人生、いつも暗い。
なんてこと考えてしまうとしたら、
何かそこに変わるべき視点を
想像してほしい。

なにか、間違っている。

私の人生、いつも幸せで
最高なはずなんですね。
自分軸で言ったら。

だから、違和感や自分が苦しんでいる声には
敏感に気づいてあげるようにこれからはなります。

うーん、今でもつらい。
今日は辛い思い出とむきあったぞー!





































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