期待に応えようとした過去の私-会社員になることへの執着と、全然うまくいかなかった話

今日は、朝思いついて、
自分のために
オラクルカードを1枚引きました。
筋肉反射リーディングです。

変容:Transformation

美しい蝶のカードでした。

過去の私はもう変化しています。

そんな応援のメッセージだと思いました。
未来は希望しかないです。

さあ、本日も自分の掘り下げを
始めていきます。

2024年、大きな気づきがありました。

新卒採用の時に、就職超氷河期で
漂流させられ、
全然自分と関係の無い業種の
企業に就職を果たし、
散々な目にあって、退職に追いやられた?
(と恨み節入ってる)
形になりました。

それが、自分探しの過程の中で、
誰の望んだ道だったのかが
明るみになります。

そうです。

私を事あるごとに
責めて、ダメ出しをし、
口を出し、自分を出せない状態に
精神的に圧力を与え続けた
親の希望だった。

親の希望に従った道だったから
全然うまくいかなかった
ということがわかった。
それでも、気づく前は
職を得ようと繰り返した
数年間だったのです。

正直不毛でした。

親の存在の重さ。

両親は金融関係の
社会的な信用を得た仕事をしていた
事に誇りを持っていました。
経済的にも恵まれていたように思います。
私の教育にも熱心だったように
思います。

なんとなく、
良い学校を出て、
社会に出て、
有名な企業に就職する
ことを暗黙の了解で
課されていたような気に
なっていました。

私は4年生大学を
無事卒業し、
新卒で企業に勤めることを
果たしました。

そして、その勤め先で
生涯の伴侶と出会い、
子どもにも恵まれました。

いいじゃん、親の希望には
かなったじゃん。
世間的にも恥ずかしいこと
していないし、

それで、何も道に外れたり、
羽目をはずしたりしたわけではなく、
親には素直に合わせてきたはずなのに、
いつまでもいつまでも
近くに住み、
毒の言葉をささやき、
嫌味をいい、
ダメ出しを続け、
私をコントロールしました。

毒母ですよね。

また、父に至っては
恨みの言葉を吐き、
絶縁にいたりました。
その最後に交わした言葉の中に、
気づくヒントがあったのですが

「社会に出て働けないお前は
価値がない」
「これまで何をやっていたんだ」
と。
暴言を吐かれ、
40も過ぎた娘に、
生き方のことで色々ケチをつけてくるなんて、
離れてもいいと夫に
背中を押され、
えーいっと縁をきる状態に
至りました。

高いお金を出して、大学に
行かせたのは、企業に働いて
社会に貢献することだ!
というのが父親の考え方のように
聞こえました。

2人の子どもを育て、
働こう、企業に就職しようと
行動して、ことごとく色々な事件が
起こり、退職に至り、
また、主人の海外転勤に
伴い、規定的に働くことが認められなかった
ような状態。
確かに、専業主婦として
今は家族を支える側で家を回すという
社会の一部を担っている
じゃないですか。

親はそれが気に食わない。

だから、私も専業主婦である自分が
認められない。
親の思考に巻き込まれていたから。
他人軸になっていたから。
誰かから評価をされようと
思っていたから。

家にいても、落ち着かない。

同年代の周りはみんな
働いているんです。

私は、語学力を磨くために
死ぬほど時間とお金をかけて、
翻訳学校にも通ったのに。

回収できないまま、
ただ消費するだけ。

社会に貢献できていない
(気がしていた)
それが絶望だった。

中国に引っ越すとき、
母親が、戻った時に就労
できるように、
ハローワークで手続きをして、
何かの給付の申請をした紙を
持ってきた。

帰国した後は働きなさいと
暗に含んだメッセージ。

新卒採用の後、
4年後に帰国。

引っ越しが落ち着くと
次はハローワークに行く。

中小団体、
貿易会社、
ポンポンポンと
会社の不正や、
職員の不正に巻き込まれ、
または、障害を抱える家族のいる
先輩社員に、「あなたが活躍されると、
私の居場所がなくなるの。
私は家族を支えるために、
働かなければいけないの」
と泣き顔で懇願され、
退職とか。
私をミスさせようと、
私が用意した書類を1枚抜いて
自分の机に隠してしまった
同僚の女性とか。

もうあり得ない状況ばかり
起きて、
ハローワークでの
職探しはやーめた。

でも、親からの昔から組み込まれた
プログラミングが発動し、
やっぱり働こうと行動
してしまうのだ。

めげない精神に拍手。
すごい、
頑張ってたよね、私。
行動力あるし。

ベンチャー企業に
「中国語できます」と
直談判して、合う条件で
雇用契約関係を結ぶことが
できた。
理想的な環境。

だけど、ほどなくして
また縁が切れてしまう。

妊娠出産のときは、
さすがにコントロールできない
ことを親も知ることに
なる。

出産時は子どもたちは早産で、
NICUに入り、長期入院をした。

だから、そんなときに
「働け」とはさすがに
言われなかったけれど。

それで、また次の駐在先に
異動がきまる。

数年の駐在生活。
その時も語学をものすごく頑張っていて、
駐在生活を楽しもうというよりは、
中国の時、せっかく頑張った努力の蓄積が
日本に帰国しても就職につなげられなかったことが
失敗体験のような未練のような状態になり、
今度こそ、就職を意識して語学力を極めた。

ライティングとか、文章の語学表現を
身に着けて、論文のようなものを
書き上げるような能力。

帰国後は就職しようと頑張っていた。

しかし、時代はそんな私の希望を
打ち砕いた。
在日外国人の活躍。
日本で働きたい外国人って
山ほどいる時代。
私が身に着けた語学力なんて、
求められていない。
現地の人に仕事が
回ってくる現実。
仕事が見つからない。
クラウドワークスに登録をして、
単発でも語学力を使う
仕事を得よう得ようとして、
全然検索にヒットしない。

だったら、とものすごいハードルを下げて
翻訳学校で2年も学んだ語学力が
全く使わないような、
誰でもできる入力業務、
みたいなところにチェックを入れて
妥協する。

私はまた流されていく。

本当にやりたい働き方からずれていく。
なにやってんだろう。
でも、本当に見つからない。
専業主婦でもあったんだから、
働けって言われたわけでもないのに。
親のプログラミングがそう
私を行動させていたのだ。

映画の評価を記事にまとめて、
1文字0.1円の報酬をもらえる
仕事に応募をした。

引き落とし最低ラインの1000円にも
満たせず、辞めた。

子育て中につき、稼働できる時間が
限定的で合う働き方が
見つからなかった。

人が怖かったので、いわゆる
パートとか
コンビニとか
そういう大多数と一緒にチームで働くような
働き方は合っていないと思うし、
そこは敬遠していた。

それでも、まだ時期がくると
働こう、職を得ようと
するんです。

立派に家族を食べさせてくれる
夫がいるのに。

病気のように、職探しを
するのです。

今度こそ、今度こそ。と
思って。

すごい不屈の精神!
継続は力なりを信念に、
努力をすれば必ず報われると
信じて進んできた
全然私に合っていなかった
親がよかれと思って誘導してきた道。

次の私の中での「職を得ようサイクル」。
摂食障害で、無理やり卒業した
大学では、教員免許は
取れなかった。
ああ、なんで教員免許取らなかったんだろう。
そんな精神状態ではなかったけど、
せっかく周りはみんな教員にもなれる
ような資格を持って卒業したのにな、
と自分を責めつつ、
「先生」になれる場所を探した。

もうブレブレじゃん。
(今の私→他人軸時代の私へ)

公文の先生になろうと
説明会に申し込んで、
選考で進んでいき、
トントン拍子に
研修を受け、
開校予定の教室も決まり、
アシスタントの先生もいて、
どんどん仕事に向かって
整えられていく状態!

今度こそ、うまくいく。
私は公文の先生になれるんだ!

そこで、両親から
しっぺ返しをくらいます。

幼稚園児の6歳の息子の
面倒をだれが見るのか。

公文の教室は16時から20時という
遅い時間帯。
息子を預かってもらわなければ
いけないけれど、
保育園は18時半ぐらいまでで
終わってしまう。
会社員の夫にも、
迷惑がかかってしまう。

近距離にすんでいたし、
長男の事は我が子のようにかわいがっていた
親孝行にもなるだろうと
思って、
公文の先生。

「そんなのだめよ!」
「私は引き受けない」
と一蹴されました。

サポートのメンバーにも
頭を下げつつ、
開校が決まっていたにも
関わらず泣く泣く辞退した。

ここでも、職には結びつかなかった。

笑えて来さえもした。

最後は、よし!英語だ。
英語の先生だ。

合わない道によく続けて
頑張っていたね。
頑張る私だったね。
何とか、仕事見つけてやるって
執着していたのかもよ。
(今の私→他人軸のかつての私へ)

同じようなテイストで、
研修を受けて、面接を受けて、
教室の先生になるという道。
かつて蓋をした英語で
稼げるのでは?
と欲も出るぐらい、
英語に関するマイナス面の気持ちは
復活していたんだ!

だって、英語の学校を卒業したんだもん。
と学歴を活かしたい、
という方向に執着して
ベネッセの英語の先生に応募。

選考は見事にクリアし、
英語力も採用担当のお墨付きを
もらった。

一応、実力的には
こどもに教えてもいいと
お墨付きをもらえたんだ!
採用担当の方も、
「先生が教室を開講されたいと
準備が整われましたら、いつでも
探させていただきます!」
と喜んでもらえた。

少しは癒された。

実力が不足していた
訳ではないけれど、
やはり、お教室運営は
お子さんが夕方から20時
ぐらいまでの時間が割けないと
厳しい環境だったので、
時間的な制約でやはりここでも
働くことができなかった。

私が何か問題があるんだ。
私が社会に向かないのだ。
私なんてどうせ、なにも貢献できることがないのだ
という自己否定の日々を過ごしながら、
周囲には、
同じ大学出身の、みんな教師や
りっぱな会社員として働くメンバーを
友達と信じて、周りにおくことで、
自らを価値がない専業主婦なんだと
貶めるようなことばかりしていた。

働くために努力したのに
それが結果につながらなかった。
それだけのことなのに、娘を
無価値人間のようにののしってくるって
親じゃない!

強く思うきっかけになり、
本当は私は企業人を目指すこと自体が
間違っていたことにやっと
目が覚めました。

じゃあ、本当に私の道は何だったのか?

というところですよね。

少し前までは、「お金が入ってくること」
「稼げること」
を夢としていました。

説明つかないぐらい、
自分の頭で考えても、
何で就職がうまくいかない
就職しても続かないのは
なぜか、わからなかったのです。

こうして、私は
外に助けを求める行動を
始めました。

自己理解プログラムや
使命を知るための講座
副業のためのスクールetc…
(またスキルを付けて働こうとしている!恐ろしい親の呪縛)

YouTubeの動画で、
キャメレオン竹田さんの
チャンネルにぶち当たった。

今でも複数のYouTuberさんが
勝手に私の仲間となって、
色々気づきを与えてもらっています。

軽い方が正解。
簡単な方が正解。
なんでかわからないけど、
気づいたら身体が動いている方が正解。

苦しくて机の前に座れないほど
私を追い込んだ英語は、
まったく違かった。

就職も先が見えないし、
うーん、次は
どんな履歴書・職務経歴書を
書いていこうかな、なんて
考えることが苦痛でしかなかった。

苦しむことが、頑張っていることの証?
昭和の悪い癖!

そしてお金を払って、
個人事業主になる方法を模索して、
まだ稼ぐ、お金を得るということに
こだわっていた。
お金を払って、高いビジネススクールを
点々とした。

そこで、何か方向が違うんじゃないかと
思って、
YouTubeチャンネルで
知ったNocciさんの
無料のスピリチュアル3日間チャレンジ
講座に申込、使命を知る方法、
小さな頃やりたかったこと、
将来こんな場所にいたいという
イメージングを、受講生と一緒に
(オンラインだから、直接
会うわけではないけれど…)
行うもの。

ネットビジネスを
学んできたおかげで、
情報をキャッチできたのだという
感じだった。

だから、高いお金を払って、
お金を稼げなかったから、
失敗したとかは全く思っていなくて、
新しい視点や新しい気づきを
得るて人生を変える
チャンスとなっていた。

過去の私は自己完結というか、
心を閉ざしてしまって、
親、家族の中で生きてきたから。
ものすごい幅狭くいきてきて、
窮屈になって、
それで、何とか視野を広げたい、
変わりたいと思って、
飛び込んだスピリチュアル系の
新しい世界だったのだ。

じゃあ、軽い方は?
好きなことは?

チャレンジ講座のなかで
子どもの頃の夢。

そうだったそうだったと。

ケーキ屋さん。
お花屋さん。
ピアニスト。
ドレス着てステージにあがって。

というと、私の場合は
ピアノ演奏だった。
4歳の時、
ピアノの上手な女の子の家で、
その子が弾いてくれた曲。

私も!と刺激をうけ、
初見でその子と同じ曲を
自力で弾き始めた時、

女の子のお母さんが驚いて、
うちの母に
「ピアノ習わせてあげて!」
と言ってくれたそうです。

4歳の時にYAMAHA音楽教室に
入会しました。

母はピアノは
やらせる予定がなかったとのこと。
お友達の母から言われてるままに
入会を決定し、
ピアノを購入してもらえた。

狭い社宅だったこともあり、
ピアノがドーンと存在感の
ある家だったからか、
とにかく何かあると
ピアノの前に座っていつでも
弾いていた。

人生の中でなんどか引っ越しが
あったけど、
母がその先々でピアノの指導者を
見つけ、習い続けていた。

相変わらず、
ピアノを弾くことは大好きだったし、
練習も欠かさずするものだから、
小学校高学年の頃には、
その当時の指導者から、
音大に向けた指導や、
先生の恩師の元での
コンクール用レッスン、
楽典の指導など、
色々特別に指導も受けていた。

6年生になるころには、
この先、音大にいくのであれば
覚悟を決めなければいけないと
言われたときに、
親戚や親が反対した。

音大を出ても、仕事にならない。
音大を出ても、叔父の知り合いは
「CDショップの店員しかなれないよ!」
「お金がないと、音大なんていけない」
「競争世界なんだから、人間不信になるよ」
と色々言われて、
当時の先生には、あっさり「音大はいきません」
といってしまった。
他人軸の自分が、
他人の意向に従って
選んで断ってしまった道のように
思った時期もあった。

数年たって、
会社員がうまくいかなかったとき、
この地点に結構戻ってきては、
あの時音大を目指していれば
今頃、ピアノを教える人に
なれていたかもしれない
と後悔したりもした。

今の自分は違う。
音大に行かない選択もあっていた。
社会に出て、合わない会社員としても
5年半は勤めたことも、
ピアノはずっとやめないで弾き続けてきた
事も、
もう職探しをやめて、専業主婦として
家事育児に専念していることも、
全ては自分に最良の環境を
歩んできたし、間違いでもなかった。

では、何が辛かったかというと、
マスメディアなどの影響で、
成功パターンはこれだ、のような
固定観念を押し付けられたり、
そうでない自分の現実が。

名前を出して申し訳ないけれど
例えば、VERYという雑誌があって
昔はよくガン見して、
憧れて同じ服を買おうとしたり。
経営者30歳ママ、
夫は実業家、子ども二人
インターに通わせてます!
ファッションチェーックみたいなのが、
成功している女性のモデルみたいに
思って、その憧れの対象に
一致していない自分が足りないように
思った。
その足りない部分が
いわゆる肩書
「一般企業秘書♪」
「起業家♪」
「歯科衛生士♪」
みたいな
一言で「これやってます」
みたいなのが自分になかったと
思って、
「ない」「ない」ばっかり
フォーカスしていました。

そっかー。
色々人生回り道したけれど
ピアノっていつも私の
近くにあったんだね。

あーあー。
親の話、
叔父の話とかきいちゃって、
脇に置いたり、
大学受験で猛勉強をするからって
辞めちゃったりしてね。

本当に大切なものって
ピアノだったんだ。

そう思った私は、
それまでお金を稼ぐために
作ったブログを
勇気を出して閉鎖した。
道が違うんだから
上手くいかないに違いないと
悟った。

ピアノの活動をしていこう!

ライトワーカーという
言葉も、私を楽にしてくれた。

眉間に皺寄せて、孤独で、
自己完結で、
うーん、どうすればよいか。
個人コンサルにも申し込み、
聞き方がわからない。
お金だけ取られて、
コンサルさんは楽だっただろうな。
人に聞かないとわからないような
進め方。

こういうことは、
ライトワーカーの
することではない。

他人軸ベースで、
社会的にみて意味がある、
能力があることで、
認められようとして、
それに自分が足りないから
頑張らなきゃと。
お金を稼ぐだめにスキルを身につけて
自分の得意で参入しようと
する行動。

自分をダメ出しして得た
仕事は、うまくいかない。

ライトワーカーは、
周りを癒す人だから、
稼ごうとしたらうまくいかない!
それを知れた事。

自分は頑張っているのに、
社会や他人の物差しで
言ったら、
専業主婦で働いていないから
だめだだめだ、楽しているって。
(表面的な評価。
私の何を知ってるの?)

そっちの評価を素直に
聞いてしまうことを、
今の私は断捨離
したのです。

3日間の無料チャレンジ講座で
これだ!と思ってメモした言葉を
ここでシェアしてみたいと思います。

「誰かにみとめさせるため、
誰かに勝つためにやっていることは身にならない」
「損得ではない。見返りを求めない。」
「自分のやりたくないことはしない」

私にとっては、
かつて能力を否定され
自己肯定感をずたぼろにされた
英語が、
やっぱり自分の中で
挽回したい事、もう一回
認められたい事?なのかな?
最近まで英検の教材を
買ってしまったり。

すると、がんばらなきゃいけないとなって
教材を1ページも開けない。
もういいよ。
英語にしがみつかなくて
いいって決めた。

音楽家が
昔にこの地球に生み出した、
クラシック曲の
美しい音色をただただ美しく
忠実に奏でたい。
そういうことが、苦なく
部分練習とか
きつい練習、
譜読みなんかも早くて、
らくらくできてしまう。
こういうことが、
楽にできることが自分のライトワーカーと
しての仕事に繋がっていくんだ。

そこまで気づいたところで、
じゃあピアノ弾いているだけで
どんな風に世に貢献していくことが
できるのか、という問題に関しては
これからまた深堀りして
いきながら探してやっていくところです。

今、親に恨むというよりは、
そう言う親の固定観念、過干渉から
自力で脱出し、
自分で違和感に気づき、
変化をしてきた私の
最高の味方が自分自身であり、
よくピアノに戻ってこれたな、と
誇りに思う。

これからの私の人生は
右肩上がりだ!!

全ての出来事は、必然で起きています。
私に必要な経験をさせてくれて
ありがとうございます。














































































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