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邪魔なら消してしまいましょうか【後編①】

※ まずは ↓ こちらを必ずお読みください。その続きになります。

「桜花ちゃん……どこにいるの?」
 部屋の中に、桜花は居なかった。

ベッドの向こう側、腰高窓に掛かっているレースのカーテンが大きく揺れている。私は吸い寄せられるように窓辺に向かった。

「桜花ちゃん?」

夏だというのにエアコンの必要ない山奥。窓を開けていれば涼しい自然風が感じられる。だけど、今の風には決して爽やかさなどない。ねっとりとした空気が体を纏い、背筋を一滴の汗が流れた。

まさか。

私はレースのカーテンにそっと手をかけ、空け放しだった窓から下を覗き込み、そして息を呑んだ。
「桜花……」
綺麗に刈り込まれて丸みを帯びた庭の躑躅が大きく歪み、すっぽりと桜花がはまっている。
まるで、絹糸の中の蚕のように。
羊水の中の、胎児のように。

「桜花ちゃん!」

庭に向かってそう叫び、踵を返して部屋を飛び出た。私の叫び声が聞こえたのか、階段の踊り場で駆け上ってくる樹とぶつかりそうになった。
「どうした海香? 桜花がどうかしたかっ」
「下に……ま、窓から庭に……」
説明するのももどかしく、樹の腕を掴んで階段を降りると、リビングから顔を出していた瑛介が慌てて玄関に走って行った。
「桜花!」
瑛介と樹は靴も履かずに庭に飛び出し、私が慌てて靴を履いていると、その後ろに怪訝な顔で近寄ってきた亜美が「一体なんなのよ」とぶつぶつ言いながら靴を履きだした。
玄関を出て左、キッチンの窓に添ってまた左に曲がると、ちょうど瑛介が桜花を抱きかかえているところだった。私たちも慌てて駆け寄り、思わず上を見上げる。真上の部屋は、桜花の部屋のカーテンが揺れている。
「イ、イタ……」
「どこが痛い? 何があった? 誰にやられた?」
矢継ぎ早に瑛介が訊ねるが、桜花は顔を顰めるだけだった。
「ちょっと!」
亜美がたまらず一歩前に出て怒鳴り出す。
「誰にやられたってどういう意味よ! 私たちが何かしたとでも言いたいわけ?」
桜花を抱きかかえたままの瑛介は鬼の形相で振り返り、亜美を見た後、樹を睨みつける。
「お前が……!」
瑛介が怒鳴り出す前に、桜花が瑛介の腕をギュッと掴んでとめる。
「とりあえず、明るいところで怪我の手当てをしましょう。桜花ちゃん、血が出てる」
私が言うと瑛介もしぶしぶ納得し、桜花を抱きかかえて家の中に戻った。

血が出るほどだった傷は数か所だけだった。躑躅の枝で切ってしまったみたいだけれど消毒と絆創膏程度で問題はなかったよう。頭をぶつけた覚えはないけれど、落ちたショックで少しの間意識がはっきりしなかったと言う。
内科医の樹は桜花の全身の状態を確認したいようだったが、瑛介がそれをさせなかった。
「2階でも打ち所が悪いと死んでるからな」
瑛介がそう言って、また樹を睨む。
私はその言葉をきいてぞっとした。たしかに、たまたま植木の上に落ちたからよかったものの、すぐ脇のロックガーデンに頭をぶつけようものなら死んでいた可能性だってある。

桜花に一体なにが起きたのか知りたい。だけど、はっきり聞くのも怖い。
私は寒くないはずの部屋で、自分の二の腕をさすった。

桜花は自分の部屋の窓から落ちた。
あるいは、落とされた。

私はそっと振り返ってリビングの大きな窓を見る。外はすっかり暗くなって、出窓には自分の姿が映っている。その後ろで、ソファに座っておとなしく手当てをされている桜花も、手当てをしている瑛介の後ろ姿も。ソファの脇に立つ、落ち着かない樹も、向かいのソファにどっかり座っている亜美の後頭部も。
昔の西洋絵画のように窓枠にきれいに収まっている。

何が起きたのか、私は思考を巡らせた。

落ちていたのは、この腰の高さの出窓のすぐ外側。ソファに座っているときは躑躅も目に入らなかったけれど、こうやって立ち上がって外を見ると、整然と並んでいる躑躅の一本だけ、桜花が乗っかって、そして退いたぶん、きれいに隙間が空いているように見える。
私は目を閉じて再び考えた。

桜花が落ちたことに、ぜんぜん気づかなかった。

私が1階におりてキッチンでコーヒーを淹れ、リビングに入ってすぐに瑛介が来た。瑛介は窓から外が見えるソファに座ったので、瑛介だって二階から桜花が落ちて来たら気づいたはず。
その後に、亜美が来て、最後に樹がリビングに来た。

私たちが来る前に、とっくに二階から落ちていたのだとすると。

……考えたくない。
コーヒーを淹れに降りてくる前、私は自分の部屋から出ようとドアを開けた瞬間の光景が脳裏に浮かんでしまって首を振った。

そんなわけない。
部屋のドアを開けて階段の方に目を向けたとき。階段の横の部屋の扉が、ちょうど静かに閉まるところだった。
そう。桜花の部屋。
桜花の部屋に、吸い込まれるように誰かが入って行ってパタンと閉じた。
あの後ろ姿は、間違いなく樹にいさんだった。

樹がなぜ桜花の部屋に?

私はそっと樹をうかがい見た。
心配そうに桜花を見つめる瞳の奥に、何かが潜んでいるようで、でもそれが何の感情だか分からなくて……。

「怪我が大したことないなら、その封筒、早く開けましょうよ」
ソファに腰かけた亜美がイライラしたように言いだした。こんな時に、なんてことを言い出すんだろうと驚いたが、意外にもその言葉でみんなの視線は一斉にテーブルの上の白い封筒に集まった。
「ああ、そうだったな」
桜花を心配していたはずの瑛介も賛同する。
みんな桜花のことより財産目録の方が大事なの?
そっと桜花を覗き見ると、桜花も封筒に視線を向けている。

「じゃ、私が開けてもいいわね?」
一番年上の亜美がみんなの顔を一応見回してから封筒に手をかける。
異論が出ないことを確認し、封筒の上部をビリビリ破くと、中は便箋が一枚しか入っていなかった。
亜美が怪訝そうな顔をして、でも咳ばらいをひとつしてから便箋を開き、丁寧に読み上げる。

現預金、有価証券などの流動資産は以下の表の通りである。ただし、その分配について、もし今回の話し合いの結果に不満を持つものが一人でもいた場合、流動資産は全て「国境なき医師団」に寄付をする。以上。

「なにそれ!」
「いくら?」

亜美は、殴り書きのような、でも確かに父の直筆の便箋をテーブルに広げてみんなに見せた。
大雑把な表には合計金額が書かれておらず、みんな暫く口を閉じたのはきっと各自が計算していたからだろう。

少ない。
想像していた額より、圧倒的に少ない。

「3千万……いや、2500だな」
すぐにお金になるものは一人あたり500万にもならない。

「こんな額じゃ……」
「ここまで来て話し合うほどのものじゃないな」
「ねぇ、みんな独身だけど、うちは3人家族だから3倍もらえるわよね?」
「俺だって娘が二人いるんだぜ」
「俺はもう結婚が決まってるんだ」
「じゃあ、そのぶん桜花は遠慮しなさい」
「は? 何言ってんですか? 頭おかしくないですか?」
「ちょっと、誰に向かって言ってんのよっ」
大した額ではないと言いながら、あっという間に揉め事が始まってしまった。

「やめてよ!」

思わず私が叫ぶと、みな口を閉じて私を見た。
「話し合いに不満を持つ人がいたら、全部寄付するって言ってるのよ?」
樹と瑛介は、はっとした顔をして、亜美と桜花は「だって……」という顔でお互いそっぽを向いた。

「そうだな。父さんの気持ちを尊重しよう。俺たちは、仲良く話し合いをすべきだ」

樹がゆっくりと言うと、瑛介もしぶしぶ賛同する仕草をみせた。

「病院や自宅、この別荘だって。不動産だったらかなりの資産だわ。まだまだ話し合いはこれからね」
亜美がそう言うと、全員が全員の顔を伺うよう見回した。決して視線を合わせないように。

これから冷静に話し合いをしないといけない。出だしっからこんな感じで大丈夫だろうか。
もう一杯、コーヒーを淹れて落ち着いた方がいいだろうかと思案していると、突然、陶器の擦れ合うような高い音が響いた。

驚いて振り返ると、亜美が口元を抑えてカッと目を見開いている。

「姉さん、どうした?」

亜美が腰をあげて立ち上がるのと同時に、両手でおさえた口元から黒い液体がゴボッと溢れ出た。

「お姉ちゃん!」


【後編②】に続く →

#邪魔消し

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