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大林宣彦監督の謎の言葉は「メアリーローズ」

余命宣告を受けておられた大林監督の眼が笑っている。
ひとまわり小さくなられていた。
痩せられて、声も少しかすれていた。
私は、イマジカのロビーで大林監督に問い返した。
「え? なんて仰いました?」と。

「だから『メアリーローズ』ですよ、津田さん。『メアリーローズ』。ヒッチコックが作りたくて作れなかった映画です」
大林さんが、五反田イマジカのロビーで私に言われた、奇妙な言葉。


2017年、大林さんの新作『花筐 ハナガタミ』の試写会に招待された私は、五反田イマジカのロビーに座っていた。

開演まで30分くらいの時間がある。

少し離れたテーブルに、大林監督と恭子夫人、映画に出ていた俳優、岩井俊二、根岸吉太郎監督など数人で談笑しておられる。

私はご招待の礼をしようと思っていたが、お歴々と話されているし、離れた席で遠慮していた。

大林監督が審査員をしておられる「東京ビデオフェスティバル」という映像祭で、私も理事として審査員の末席を務める。

だから新作映画試写会への招待だった。

お歴々たちが、大林さんと握手して試写室の方へ行かれる。

今なら挨拶出来ると、大林さんの席に進む。

招待の礼と、もう直ぐ出版する自著『ヒッチコックを追いかけて』の話をした。
大林さんはディープなヒッチコキアンだからだ。

「スコセッシとか、スピルバーグも『サイコ』のミイラ化した母親のショックシーンを真似たり、ポランスキーや伊丹十三とか、様々な映画やテレビドラマで、ヒッチの撮影テクニックの真似を、よく見かけて、そんなのをエッセイとして書いています」と打ち明ける。

大林さんの顔に笑顔が溢れた。

「それは面白い」と大林監督、何かを言い掛ける。

その時、主演女優などが挨拶にくる。

ハグなど始まるし、私は元の席に戻る。

数分して、今度は大林さんが杖をついて、私のテーブルまで来られた。

「津田さん、ヒッチコックが作れなかった映画、知ってますか?」

唐突な言葉が理解出来ない私。

冒頭の会話になる。

「メアリー……」大林さんの言葉が、聞き取れなかった。
「え? なんて仰いました?」と私は首を傾げた。

「だから『メアリーローズ』ですよ。『メアリーローズ』。ヒッチコックが作りたくて作れなかった映画です」

「え? そんな映画があるんですか?」

「もし、この映画が出来ていたら、ヒッチの謎が解けるかもしれない。彼の女性に対する見方とか、彼の映画の中で…女性の描きかた…ヒッチの本質が…」

そこへ、今度は山田洋次監督が挨拶に来られる。

大林さんが席を立ちながら、山田監督と握手される。

『男はつらいよ』に、大切な話の、腰を折られた。


大林監督は「では津田さん。本、期待しています」と言い残し、山田監督と試写室に向かわれる。

「え? そこまで?」

私は、直ぐにバッグのiPadを取り出して『メアリーローズ』を検索する。

大きな薔薇の写真しかヒットしない。

それらしい情報など、何も無い。


試写会が終わって、私は直ぐに自宅に戻った。

『ひょっとして、あの本なら…』と思ったからだ。

トリュフォーの分厚い「ヒッチコックの映画術」を数年ぶりに引っ張り出し、ページをめくる。

見つけた。

ヒッチがトリュフォーに話す、『メアリーローズ』の簡単なプロットが載っている。


主人公の青年と、20歳の新妻メアリーローズが、ある島に新婚旅行にくる。

その島は、メアリーが子供の頃、神隠しになった場所だった。
そして、新婚旅行の島で、またメアリーが消えたのだ。

主人公は懸命に探すが見つからない。

彼は、それから10年20年と、その島を訪れメアリーを懸命に探す。
見つからず、諦める。

彼は70歳になった。

知らせが届く。
島で、メアリーが見つかったと。

彼は、急いで島に行く。

そして眼の前に現れたメアリー。
彼女は、消えた当時の、20歳のメアリーのままだった。

「あなたが、歳を取っていても、私はあなたを愛しています」と泣きじゃくる。


『時空を駆ける原田知世か』と私は思った。

ヒッチはトリュフォーに「この映画、君が作ってくれないか?」とまで言ってる。

ヒッチらしい話だ。

グレース・ケリーやティッピ・ヘドレンに横恋慕するヒッチ、そして拒否されるヒッチ。

老人の夢が詰まった映画。


私は「ヒッチコックを追いかけて」の本の担当者に電話する。

「もうひとつ、エピソードを足したいのだが…」と。

「発行が伸びますよ」という返事。

本は出るのが遅れたが『大林監督の謎の言葉は、メアリーローズ』は、追加された。

もちろん、この本を大林さんに献本した。


後日、蒲田映画祭だったか。

後援者やファンに囲まれたインタビューの席で。

誰かが「大林監督がこれまでに作られた映画のベストワンは何ですか?」という馬鹿げた質問をする。

大林さんは、困った顔をする。

一本なんて上げられる訳がない。

前列にいた私は、大林さんを助けようと、声を上げた。

「ヒッチコックは『鳥』のインタビューで、記者の同じ質問に“ネクスト・ワン“と答えていましたよ」と。

大林さんが笑う、そして隣で大林恭子さんが私を指差して笑っていた。

恭子夫人も、私の本を読んでおられたのだ。


私は『ピノキオは鏡の国へ』の中に、このヒッチコックの『メアリーローズ』を、原田知世も含めて入れ込んだ。

現代で失踪した新人女優が、大正時代の古い写真の中で笑っている。

このアイデアも、ヒッチコック未完の映画プロットから貰った。

小説のヒロインたちが巻き込まれる時空を超える事件の伏線として。

その章の名は『メアリーローズ』とした。


そしてこの本を、私はまた、天国の大林宣彦さんに献本する予定だ。

大林さん、きっと天国で笑われるはずだ。













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