嫌いなやつを呪う話
あとは髪の毛さえ手に入ればよかった。それであの糞野郎は死ぬのだ
ナシロは自分の中に、暗くも激しく主張する感情にブレーキをかけようとはしなかった、むしろ人を本気で呪うという行為を実行することにワクワクしていた。幼い頃からのオカルト好きであったが故に、本や動画などを見ていたので、人を呪う方法はいくつか知っていた。今回はその中でも、簡単に出来る方法をためしてみるつもりだった
必要なのは黒い紙と、呪う相手の髪の毛だけだった。夜中にどこそこの神社に行って、御神木に釘を打つなどの仰々しい行為は必要ないし、黒い紙は家の近所の、書店兼レンタルDVDのお店で購入したから、あとはオオシロの野郎の髪の毛を入手すれば事は成せるのだ
どうにかして、髪の毛を入手してほしい。その旨をキシモトに伝えたとき、キシモトは困ったなという笑顔のまま、なにか言うでもなく、ナシロを見ていた。「だから、あとは髪の毛さえ手に入ればあの野郎を呪うことが出来ますよ」そういわれてもと言うように、固まり続けるキシモトにナシロは「チャンスがあればよろしく」と言って、仕事に戻った
そもそもは、キシモトがオオシロにぶつかっただ、ぶつかってないだのと言いがかりをつけられたのが引き金ではあったが、それ以前からオオシロとキシモトは揉めることが度々あった、というかオオシロが人と揉めることが多かった。平たく言えば、オオシロの性格は悪いのだ。その時も、愚痴をナシロに話して、どうにか合法的に殺すことは出来ないかと話していたところ、だったら呪ってみる?とナシロが言い出したのだった
といっても髪の毛の入手は難しい。なにせ、ナシロ達とオオシロは、会社は違うが、同じ冷蔵庫内で作業していて、ナシロ達は青果物を、オオシロは卵のピッキングが主であり、オオシロの会社はルールとして、食品製造の作業員の様な、顔しか出ない白い作業着を来ていた。しかも、だだっ広い冷蔵庫のなかで、そんな格好のオッサンの髪の毛を入手するなんて至難の技であった。せめて同じ会社なら、更衣室が同じとかで入手しやすかったのだろうけど。
そんな矢先、あっさりと髪の毛は手に入った。トイレで用を済ませ、手を洗っていると、個室から頭を搔きながらオオシロが出てきて、となりの洗面台で手を洗った。その時に何本かの髪の毛が床に落ちた。「おつかれさまです」と挨拶をして、靴ヒモを直すフリをして。ナシロは髪の毛を拾った。なにかに導かれていると感じた。呪いを実行せよと
満面の笑みで髪の毛を見せつけるナシロにキシモトは、初めて人間に対して、気味の悪さを感じていた。具体的になにに対してかは解らないが、人を呪う。というぶっ飛んだ行為の作法を知ってることとか、その準備の速さとか、そして、そのことを楽しんでる様子だとかにだろうか。とにかく、もうナシロはやってしまうだ。もう止められないのだと感じた
「昨日、やってみましたよ」ナシロにそう言われてから、2ヶ月しないくらいだろうか、オオシロを職場で見かけなくなっているのに気付いたのは。呪っていたなんてことはもう忘れていたし、やっぱり呪ったからといって、なにか起こることはないんだという冷めた気持ちと、なぜか安心したのは覚えていたが、「まさかな」そう独り言を言ったら、真後ろにいた先輩に聞かれていたようで、少し気まずくなって、キシモトは作業の手を早めた
ナシロが本当に呪いの儀式とやらを行ったのかは解らないが、オオシロを見かけなくなって、3ヶ月ほど経っていたし、ナシロが主任から聞いた話では、無断欠勤が続き、電話しても出ない、そろそろ自宅に行ってみようかとなった、そんなある日、オオシロの母親から、体調を崩したので辞めさせてほしい。と連絡があったとのこと。死んではいないということだけはわかった、オオシロが現在どんな状態なのか、呪いの効果はあったのか、そもそもナシロは本当に呪うという行為をしたのかはもはや解らないし、もう知りたくもなかった。しばらくこのことは、会社の人達には言わない方がいいなとキシモトは感じていた
ナシロは会社帰りの車の中で、なじみの、オカルト系ポッドキャストを聞いていた。オオシロが来なくなって3ヶ月くらい経った。呪い返しが怖かったがそれもないだろうと思っていた。いつもの平穏な海辺の帰り道、日が沈もうとする美しい時間帯、そんなサンセットビーチを背景に女の子達が動画をスマホで撮っていた。そんな光景を見てナシロはなぜか、なにも考えられなくなったというか、感じなくなったというか。そんな感覚になった。それと同時にハンドルをその女の子達に向けて、アクセルを踏み込んでいた。
意識を取り戻したナシロはまず、全身に激痛と苦しさ、そして、人々の悲鳴や視線を感じていたが、自分のしたことを思い出しながら、呪い返しなのかなこれ、と声に出してみようとしたが、喉からヒューヒューと空気の漏れるような音しか出せなかったが、嬉しかった。超常的なことはやっぱり在るんだと、そして自分はそれを体験したんだと、なんだか幸せな気持ちで死んでいった