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【大人になるとは】実写版『耳をすませば』レビュー

今回レビューする映画は、2022年公開の『耳をすませば』です。
原作は1989年に連載されていた漫画であり、その後スタジオジブリによりアニメ映画として公開されたことで知名度をぐっと上げたのではないかと思います。原作漫画とアニメ映画とで内容が一部異なるものの、中学生の主人公・月島雫と天沢聖司の二人が織りなす甘酸っぱい恋愛模様を描いた作品というところは共通でしたが、今回レビューする実写映画では、二人の10年後までを描いているというところでまた異なる作品となっているのでしょう。製作陣曰くアニメ映画とは別物とのことなので、自分でもあまり意識せず観賞してみようと思います。

なお私はアニメ映画版を何度か観ていますが、原作漫画は1話のみの視聴となっています。また、レビューにはネタバレを含みますのでご注意してください。


左:月島雫(清野菜名)
右:天沢聖司(松坂桃李)

まず、本作はアニメ映画との関連はないと明言されているとのことでしたが、それは権利上の建前でしょう。アニメ映画を明らかに意識した演出が多く、またストーリーを進行させるうえで作品の内容をある程度分かっていることが前提となっている節がありました。例えば天沢聖司の設定について。原作では画家、アニメではヴァイオリン奏者を目指している設定でしたが、本作品ではチェロ奏者を目指してイタリアに10年滞在しているという設定になっていました。この音楽路線はアニメ版を踏襲したものでしょうし、そのまま設定を使うわけにはいかないので別の楽器に変更、という流れが透けて見えます。また、雫とその友達である夕子が恋バナをするシーンでも、アニメ映画によった展開となっています。二人が互いの好きな人について話をする場所が、原作漫画では教室、アニメ映画では校庭のグラウンドの傍でした。そして本作の実写版ではアニメ映画に準じ、舞台は校庭のほうとなっていました。その後の杉村が現れ夕子が立ち去る下りや、本を忘れて取りに行くと聖司と遭遇するところまでアニメ映画と同じ展開が続きます。比較的序盤からアニメ映画で観たとおりの展開を見せられるので意識せざるを得ず、むしろ比較するなという方が無理な話でしょう。大人になった雫が地球屋を訪れお爺さん(西司郎)と話をするシーンではキャラクターへの説明もなく、観ている側が知っているであろうという前提でストーリーが組み立てられていたり、「カントリーロード」を意識したかのように主題歌に「つばさをください」を選んでいたりと、製作側が意識しているのが隠しきれていません。このこと自体が映画の評価に影響しているわけではないのですが、個人的には、つながりはないと言い張りながらアニメ映画の視聴を前提としているような脚本となっているのが少し不満でした。なら原作漫画に設定を寄せるかオリジナルを付け加えるかで説明描写を入れるべきだと思いますし、これではジブリの知名度にただ乗りしたようにしか感じられませんでした。

それはさておき10年後の大人パートについてですが、雫が現実と夢の両立について苦悩するという物語がメインに描かれています。「小説家になる」という子供のころからの夢を追いつつ、出版社で働く雫。恋人となった聖司はイタリアにおり、海外にいる恋人と10年もの間遠距離恋愛を続けているという特殊な状態でありながらも奔走する雫ですが、小説のコンクールには落選し続け、仕事では担当作家から苦情を入れられ、昭和的なパワハラ上司から毎日叱責されたりとうまくいきません。唯一の心の拠り所であった聖司に会えば何か変えられるかもと思いイタリアに行くも、聖司はかなり充実した日々を送っていることを知って心が折れます。ここで映画内では失恋という言葉が使われていますが、これは聖司のことが好きな女性が現れたためではなく、夢と現実の両立を実現している聖司との溝を感じたことであきらめを感じて離れる決意をしたということだと思います。ここもアニメ映画で似たような展開がありましたが、これですっきりした雫が現実で立ち直るという展開が目新しく映りました。10年続いた精神的柱を失いながらも自分の中で見方を変えて大事なものに気付くことが、大人になった雫にはできました。もしかしたら、大人になるというのはそういうことなのではないかと思いました。以前観た映画で『ラ・ラ・ランド』というものがありましたが、そのエンディングに通ずるものがあると思います。様々な経験から自分にとって最善な道を探し選ぶことが大事で、雫にとってそれは子供心を思い出すことだったということなのだと思います。聖司との出会いから別れまでで自分の良さを育てて磨いてこれたというところで無駄にはならなかった、つまりこういう形でのハッピーエンドという締め方なのかなと思いました。『耳をすませば』という原作がある作品でこのような方向にもっていくことに少しリスクはあるかと思いますが、私はここに関してあまり否定的な感情を抱くことはありませんでした。

ただ本作はこれで終わることなく、聖司から手紙が届き、聖司が雫に興味を抱いた瞬間、つまり作品が始まったきっかけから自身の現状までを素直に打ち明けたことで、実は聖司も順風満帆ではなく苦しんでおり、雫と同じ常用であったことが伝わります。そしていきなりの帰国から雫宅の前まで自転車をこぎ、早朝の坂の上でプロポーズ。アニメ映画をほうふつとさせるようなエンディングを迎えました。しかし、ここら辺はファンサービスのような演出だろうと思いますし、作品のメッセージというところでは雫の帰国あたりが実質的なエンディングかなと思います。

ストーリーの部分で抱いた感想は以上で、ここからはほかで気になったところを書いていきます。というのはキャストについてなのですが、過去辺を演じた俳優たちがとても良かったと思います。演技は特別良かったわけではないのですが、まず見た目が良かったです。特に夕子はそばかすこそなかったもののシャイな佇まいなどがはまり役だったと思います。また雫も感情の出し方が雫らしいなと思いました。一方大人編のキャストたちはなかなか『耳をすませば』の世界観が薄れてしまっていたように感じました。特に夕子と杉村のカップルは言われないと気づかないくらい面影がなく、少しチャラついたような大人になっていたのがイメージ違いかなと思いました。ところどころで過去の回想を挟まないと今何を見ているのかを忘れそうになるくらいキャラクターのイメージに乖離を感じてしまうという点が残念でした

作品ラストで描かれる吹っ切れた聖司の演奏シーンは印象的でした。それまで何度かあった演奏シーンとは違った自由で明るい音色、楽しそうな表情の松坂桃李などが相まって本人の変化も伝わる良いシーンであったと思います。こういったキャラクターたちの心理描写を表現するというところは作中通して割とわかりやすく、くどくない程度に現れていたのは良かったと思います。


まとめとして、良いところもあればそうでないところもあるという、つまらなくはない作品といったところでした。雫の立ち直り方以外はアニメ映画をなぞるような展開となっており、目新しさを感じるポイントが少なかったため退屈に感じる人もいるのかなと思います。作品としてのテーマは伝わるものの、原作感が薄くわざわざこの作品を題材に選んだ理由がいまいちわからなかったようにも感じます。正直アニメ映画で十分ではないかと思わざるを得ませんでした。

感想としては以上になります。
皆さまは本作品を見てどのように感じましたか?


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