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恋ってどんな色?

恋に関する記述は、古今東西いろんな人がなしてきたのですが、私が特に好んでいるのが、王朝時代(平安時代)の歌人である和泉式部です。

大河ドラマ「光る君へ」で泉里香さんが演じている、紫式部の同僚の女官に当たる人です。

世の中に こひといふ色はなかれども ふかく身にしむものにぞありける 

後拾遺和歌集巻十四

平安貴族で特徴的なものとして、「十二単じゅうにひとえ」がありますね。十二とありますが、実際のところは、3〜7枚くらいの着物を重ねたものらしいです。室町時代以降は、「五衣いつつぎぬ」という名称に代わり、五枚の着物が女官の正装になったのだとか。

この「十二単じゅうにひとえ」は、とてもきらびやかな色合いですよね。それぞれの着物の色をどのように出すかご存知ですか?

昭和の頃には、まだその風習が残っていたんですけれど、染め物といって、布地の繊維質に色素を吸着・結合させることで色を表出しているんです。

先に上げた和泉式部の詠んだ歌は、この染め物を恋にたとえているのです。

世の中には、“恋”という色はないのだけれど、布地に色素を染み込ませるように、私の身体のスミズミにまで、“恋”という色が染み込んでいくものです。

およそこういった意味合いになりますでしょうか。

細胞レベルにまで、“恋”という色が染み込む。

なんと美しい表現でしょうか。

極めて女性的な感性ですよね。

“恋”色に染まった貴女は、どんな色をしているのでしょうか?

イメージするだけで、私の心は満たされていきます。


和泉式部の歌をもう一首。

黒髪の 乱れも知らず うちふせば まづかきやりし 人ぞ恋しき

後拾遺和歌集巻十三

この歌を解釈する際に、2つの見方があります。
この「まづ」という単語ですが、現代語の「まず」に同じ意味です。

「かきやりし」とは、髪をかきあげるという意味。

この「まづ」を行為の最初ととらえるか、それとも初めての人ととらえるか、ということです。

黒髪の乱れるのも構わずに横になっていると、
「まず」髪をかき上げてくれた
あの人を想い出します。

およそこんな意味でしょうか。「まづ」をどちらにとっても、特定の人を指しているのは確かなことです。

和泉式部という人は、多情な女性と見られていたようで、数多くの男性との浮き名を流していたらしいです。

その中の特定の誰かを思い出す歌なんですね。

そう考えると、和泉式部という女性の人柄が忍ばれます。

ちなみに、和泉式部といえば、恋の歌ばかりが目立ちますが、実はそうでもありません。摂津国(現在の大阪府北部)に旅行に行った時の紀行文や、神仏の世界を詠んだ歌なども多数残されています。

和泉式部の世界観にひたるのも、また一興というものです。この本がオススメです。

王朝時代(平安時代)の文学と現代の文学を比較してみますと、非常に面白い点に気づきます。

現代においては、直接的なベッドシーンを表現することが多いです。官能的といいますか、肉感的といいますか。性衝動を描くことが多いように見受けられます。

対して、王朝時代(平安時代)の文学は、ひとり寝、あるいは朝帰りしたあとを描くことが多いです。

ひとりの世界に入りびたり、行為の余韻にひたっているわけです。

和泉式部もそうですが、平安時代の人々は、自然とともに生活していました。また、神仏などの超自然的な存在も崇拝していたといいます。

王朝文学の情緒性は、ここら辺からくるのかもしれないですね。

コンクリートとネオン、コンピュータに象徴される人工的な造形物に囲まれた現代人とは、まったく違う感性を持っていたんですね。

古典と現代。お互いを比較して、それぞれのメリット・デメリットを検証してみるのもいいかもしれませんね。

それでは、また次回✨️



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