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北海道のフライフィッシング 桃源郷再び 第5章 『鉤を曲げる虹鱒』  

           全5話

第1話 
     一桃源郷3日目一

 最終日となってしまいました。
 昨日、記録を更新したとは言え満足はしていませんでした。「逃した一匹か、それに匹敵する一匹を釣らなければ気が済まない。」
そんな思いでした。

 残された時間は少なく、また、釣り始めたら時間はあっという間に過ぎてしまいます。
 目標を達成するためのいちばんの敵は「焦り」です。焦って長い距離を釣り上がっては本当の勝負の時間を逃し、かえって焦りを生じます。
 限られた時間を有効に活かすには、「どこから釣り始めるか」が重要なポイントでした。目標を絞って短期決戦で臨んだ方が良いに違いありません。

 前日に大物を逃した少し下流から釣り始めることに決めました。

第2話
 しかし、もうエースフライ「岩井岩魚」は使い果たしていました。
 最後のチャンスにエースフライがないなんて。

 何とか「岩井岩魚」級の働きをするフライをプレゼンテーションしたいものです。大きめで視認性の高いフライという条件でフライボックスの中を探しました。
 すると、1つ、これまでに気にも留めなかったフライに目が留まりました。
 このフライは、梅田の阪神百貨店でロッドを購入した際、店主が、
「北海道へ行かれるんでしたら持って行ったらよろし。」
と10個ほど選んでサービスしてくれた中の1つでした。フライパターンの中では見たことのないようなフライのため、使うのをためらって、いちども使わなかったフライです。
 ロイヤルコーチマンのようで少し違う感じ。オレンジ色のウィングがVの字になっています。腹の部分は赤い帯を締めていますが、全体的にぼってりしたボディです。今思い出せるイメージからすると、ロイヤルウルフではなったかと思います。

 このフライなら晩夏の虹鱒は喜んで飛びつくに違いありません。今まで岩井岩魚をエースフライとして頼り切っていましたが、岩井岩魚がなくなった今、このフライに代役を託すことにしました。
 慎重に結び、フロータントをたっぷり塗って沈まぬようにしました。

第3話
 その日選んだフライは、北海道の虹鱒にぴたりとはまり、立て続けにヒットしました。
 ところが、手こずった挙げ句、3匹連続でバラしてしまいました。
 素晴らしく反応が良いのにバレ続ける原因が分からぬまま、気が付くと昨日大物を逃した流れに辿り着いていました。

「フライの反応は抜群だ。焦らずにやり取りをすれば何とかネットインできる。」
 バレるかもしれないという不安を振り払い、引き続き今日のエースフライに託すことにしました。
「頼んだぞ!」
エースフライに向かって言葉をかけました。

 直線的な川面に沿って慎重にラインを前後させ、ポイントまで伸ばしていきました。エースフライは、昨日、虹鱒がロケットのように飛び出したあのポイントへ再び着水しました。

 案の定、昨日同様に飛びついてきました。魚はいちど大きく飛び跳ねたあと猛然と上流へ走り出しました。

 まるで昨日をなぞるような展開です。
「同じ失敗は繰り返さないぞ。」

 ラインを繰り出し、少しでも力が弱まるのを感じるやラインを手繰り、強まれば繰り出す。そうして徐々に距離を縮めていきました。
 ネットインできる距離まで引き寄せましたが、簡単に捕まるはずはありません。
「これは序盤だ。勝負はこれからだ。」
そう言い聞かせ、念の為、左手で背中のネットを探った刹那、魚は私の立っていた場所よりも下流に走り出しました。
「しまった。」
 流れの勢いと魚の重さが加わり、それまでとは比べようもないほどの強い引きです。

第4話
「切られる。」
逆転の予感がしました。
 ぐいぐいと走る魚をもう止めようがありません。

 昨日の失敗から、今度は無理に魚を止めようとはしませんでした。

 リールはジージーッと音を立て、ラインは出ずっぱりになりました。魚の行く先にはお義父さんの姿が見えます。

 魚は休む間もなく川下へ走り続け、もうラインは出尽くし、リールの芯に巻いているバッキングラインが出始めました。しかし、すぐにそれも出尽くしてしまうでしょう。

 リールの回転が急に速くなり、とうとうバッキングラインも出尽くして、リールの芯だけになりました。
 私は初めてのことに気が動転したのか、もう回るはずもないリールに指を突っ込み回転を止めようとしました。

 そうして全ての糸が出尽くしてもなお、魚は容赦なく物凄い力で私を下流へ引っ張り続けました。

第5話
 万策尽き、不用意ににロッドを立てた瞬間、お義父さんの目の前でバレてしまいました。
 あまりの無念さを抑えようもなく下流へ向かいました。

「今の、でかかったねえ。」
と、慰めとも称賛ともつかない言葉でバシャバシャとお義父さんが近づいてきました。お義父さんの言葉には反応のしようもなく、またもや切られたティペットを確かめようとすると、何とフライは残ったままでした。

 よく見るとフライの形が先程と少し変わっています。「つ」の字の形だった鉤は伸びて「へ」の字の形に広がっています。

 虹鱒の強い力で引っ張られ、伸び切ったに違いありません。あいつは鉤をひん曲げて逃げて行ったのです。

    『鉤を曲げて逃げる虹鱒』完

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