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勾玉三部作

荻原規子さんの『白鳥異伝』を読みました。1996年、徳間書店刊。勾玉三部作の二巻目です。

小学校高学年から高校のあいだに『空色勾玉』を読み、それから実に30年ほどの時を経て本作を手に取りました。

明るくてまっすぐな橘の娘遠子とおこと、父と母を知らない心優しい少年小倶那おぐな。ともに仲よく育った二人はただ一緒にいたいだけだったのに、思わぬ力が二人を隔て、勾玉を連ねた「玉の御統みすまる」と「鏡の剣」にときに呼ばれ、ときに振り回されながら豊葦原全域を舞台に壮大な物語を繰り広げます。遠子と小倶那がなにを受け入れてなにをあきらめるのか、二人でいることはかなうのか。作品名にある白鳥は空の彼方に飛び去ってしまうのか、それとも舞い降りてくるのか。ずっと目が離せず、最後は指先が熱くなるほど胸を高鳴らせたまま二人の冒険を見守りました。

子ども時代の私は『空色勾玉』に心酔し、当時すでに世に出ていた三部作をなんとしても手元にそろえたいと願いました。本は買ってもらえることが多かったので、親にもその気持ちを伝えましたが、それはできないと言われました。「本ならいくらでもいいよ」と言われたこともあったのに、それをほごにされたのが納得できませんでした。いまにしてみれば、本好きの親がそう返事をしたということは、なんらかの事情があったのだと思います。

それだけ読みたかったのなら図書館で借りるとか、タイミングをずらして誕生日などにあらためて頼めば快くかなえてくれただろうに、私はそうしませんでした。ただ「いま読みたいというときにその本を買ってもらえなかった」という苦みだけが残り、唯一持っていた『空色勾玉』は進学で上京するときも荷物に入れ、ずっと本棚に置いてきました。

昨年末、ふだん行かない図書館に子どもと出向き、児童書コーナーで子ども用の小さな机に座っていたときに、ふと見つけたのが『白鳥異伝』でした。厚さ4センチ、全600ページ。厚みに少したじろぎましたが、一度めくると豊葦原の世界にいっぺんに引きこまれました。

いろいろなことを「もういいにしよう」と思ったこの年末年始を本作とともに過ごすことになったのがとても不思議で、なんだか物語(あるいは本作に出てくる勾玉)に呼ばれたようだなと思っています。本作の主要テーマのひとつが「てばなす」ことだったので。

子どものころにかなえてもらえなかったことも、理不尽に傷ついたことも、失ったことも、大人になったいまの自分がなだめ、手当てし、与えることができるようになったのだということも、この年末年始に腑に落ちました。

いま三部作を手元にそろえるのもいいな、と思っています。

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