引き算じゃなかった/ The Yogis magazineより
ここのところ違和感がずっとありまして。
なんだか、自分のやっていることや、選択などが、なんとなくしっくりこない。
誰にでもあることでしょうか。
自分の中のささいな不協和音のようなもの。
以前に比べると
やることリストをずいぶん減らし、
日々に少し余白のようなものができて、
暇だな、何しようかな〜と思える時間もできたのに、何だか心がわくわくとしないのはなぜなのだろう。
そんなある日、急に海が見たくなり、
突然思い立って鎌倉へ向かったのでした。
きれいな海にたどり着き、
浜辺までてくてく降りていって、
波打ち際に寄せて返す波をずっと見ていました。
ざざーん、ざざん、という波の音を聞きながら
光できらめく波間を眺めていると
あまりに美しくて、カメラを持ってこなかったことを悔やむくらい。
サーファーの人たちや、セイリングを楽しむヨット達、とても気持ちよさそうで
それを眺める自分もなんだか無心になり、しばらく海にいました。
海のエネルギーを存分に浴び、
野菜たっぷりのランチを食べ、
海産物などのお買い物をして、
帰りの電車では気持ちが満たされきっていて。
ああ、わたしには、これが足りてなかったな。
おでかけしたり、大自然を眺めたり
気ままに動き回るとパワーが出るんだ。
どんどんTO DOを引き算して
余裕があるはずなのに元気が出ないのは、
こういった"日常からの脱出"のような、刺激の要素が足りてなかったんだ、と腑に落ちました。
わたしに必要なのは
引き算じゃなかったみたいです。
先日、ヨガ哲学を学ぶイベントに参加する機会があり、そこで、The Yogis magazineの編集長の橋村さんがおっしゃっていたこと。
【↑ヨガ哲学のわかりやすい解説が載っている号。】
(ヨガにおいては) 快適・安定が大切。
そして、快適・安定をどう生み出すかという話の中で、彼にとっては、毎日色んなイベントに出たり、刺激を受けることが、ご自身を元気に保つために必要だと言っていて。何もないと、日々のあれこれネガティブなことを翌日、翌々日まで引きずってしまうそう。
私はそれを聞いてびっくり。
そんなに色んなイベントがあったら毎日お祭りみたいで私はめちゃめちゃ疲れてしまいそうです。
でも「快適・安定」って、人によってこんなに違うものなのか!と理解できた。
これをすれば快適という正解はなくて、、体質みたいなものかな。
私の場合、家でもやもやしていた時は、
「快適・安定」ではなかった。
コロナの影響は大きく、今でもなんとなく家の周辺でどうにかしようとする癖が抜けなくて。
今回、ふらっと遠出してみたことで、自分に合うリフレッシュ方法を思い出すことができました。
ラジャス(欲望、怒り、などの激しい性質のこと)が多めな自分の体質を否定せず、
自分にとっての「快適・安定」を探ろう。
ラジャスに偏りすぎて苦しいときは
サットヴァ(心が澄んだ、穏やかな状態)を目指して調整しよう。
ヨガ哲学の考え方を借りながら、
振り子みたいに揺れながら、
いまも日々、自分の心地よい中心を探っています。