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久しぶりに死にたくなった話

 こんばんは、ようやく夏も終わりに近づいてきましたね。久しぶりに書く記事のタイトルがこんな感じですみません。久しぶりにどん底に落ちていました。というより、まだどん底かもしれないし、本当のどん底はまだまだ下かもしれません。どん底の始まりだったらどうしよう。そんなことを考える毎日です。

 今回は完全に、愚痴&鬱回にしようかな笑。記事を読んで、いい気持ちになりたい人は読まないほうがいいかもしれません。

私はダメ人間

 初めに言っておくと私はダメ人間です。期日は守れない、朝は起きれない、電話に出られないし、連絡も返せない、仕事はできないし、自尊心が低い、なんでも卑屈に考えるし、人に迷惑をかけてばかり。
 そんな私でも、最近はまあまあ楽しく過ごしていました。自分のダメさを諦めつつ、なんとか克服しようしていました。どんなに、失敗しても乗り越えようと頑張ったし、相手ではなく自分が変わろうと勤めてきた。そんな自己評価を大きく覆されたのが、バイト先との関係でした。

 ある日バイトで、大勢の客をうまく捌くことができなくて、注意を受けました。自分の接客に責任を持て、と。酔っ払った若いにいちゃん達を捌くには、自分には経験もスキルも完全に不足していました。それで、注文を聞き取ることができずに、提供までに時間がかかってしまった。どう考えても、1人では難しい状況で手を差し伸べてくれない社員さんにも、この状況をどうにかできない自分にも悲しくなって、接客中に涙を流してしまいました。結局お客さんに「大丈夫ですか?」と気かれる始末。バイトの帰りには、帰り方が突然わからなくなって地図を開いてノロノロ帰りました。その日以降バイトに行けなくなってしまいました。

 これだけ聞いていたらなんて心の弱い若者なんだ、と呆れる方も沢山いらっしゃると思いますが(実際にそうではある)、仕事ができない私は多少嫌われていたので、ちょっとした嫌がらせをされたり、嫌味を言われることは割とありました。それでも、なんとか信頼を取り戻そうともがいました。それが全くの無意味だと知ったのは、ここ最近の話。

 シフトが入っている日に突然行けませんと連絡する日が重なったある日、制服を郵送で返却してください、と連絡が来ました。なんと。クビになったのか。そう思って、どう言ったらいいかわからなくなって、どうしていいかわからなくなって、連絡するのを放置してしまっていました。何度も連絡が来て、どうするのか尋ねられたけど、ずっと見ないふりをして、過ごしていた。さすがにと思って、先週その返事をしたところ、長文の嫌味や怒りの文章が送られてきました。その中の文章で、全く事実無根の嘘によって、私が悪者になっていたことを知りました。一番信頼していた先輩が言っていたと、店長から聞きました。一瞬の怒りの後には、胃をぎゅーっと締め付ける痛みが襲ってきました。なるほど、あの冷たい態度も、嫌がらせも、嫌味も私のせいだけではなかったのか。言われのない噂のせいで、こんなに嫌な思いをしてきたのか。

 なんとか、気に入ってもらえるようにあんなに頑張ったのに。あんなに、自分を奮い立たせて出勤していたのに。

 傷ついたけど、自分が悪いところが沢山あったから、全部自分の行いや自分の出来の悪さが招いたことだと言い聞かせて、忘れたふりをして、気にしていないふりをして、普通に過ごしていました。幾度となく、アルバイトを辞め、変えてきている自分が嫌いで、こんな格好悪いこと誰にも言えませんでした。

 でも、体には確実に現れていました。夜が眠れず、朝が起きれず、食欲もなく、大好きだった回転寿司でも、全然食べきれずパートナーにあげるようになっていました。食べると吐き気がして、実際に戻したこともありました。

弱い自分が心底いやだ

 戻してしまったパニックの中、助けを求めて家族に連絡をしてしまい、後から見たらスマホには心配の声がメッセージに残されていました。でも、自分のためではなく、子供のためにお金を稼ぐ両親や医療従事者としてもっと過酷な状況を生きている姉に大変だとか、辛いとか言えませんでした。さらには、新学期始まって大変なんじゃないの?と尋ねる母のメッセージによって、自分の弱さを再認識させられました。季節の変わり目だから、今日は天気が悪いから、最近ちょっと予定が詰まっていたから、新学期だから、恋人とうまくいかなくなったから。そんなことで、体調まで崩してしまう弱い自分が嫌いでした。なんで、こんなにも弱いんだろう。

 みんなちゃんとやってるのに、みんな文句言ってないのに、みんなにはできるのに、誰もダメになってないのに。どうして自分だけは、こんなにも何もできないのだろう。こんなにも、ダメな自分が嫌いで嫌いで、どうにかしたくて、もがいてもがいて、必死になって、また倒れて、絶望して、自分に失望して。こんなのの繰り返しなんて、もうしたくないのに。もう大人なのに弱すぎる自分が本当にいやでたまりません。

無理しないでねと言われるたびに

 自分も人にはたまに言いますが、無理しないでという言葉には、少しの暴力性があると勝手に思ってしまいます。なぜなら、それは無理できる側の人間から発せられる言葉だから。同じことをしていても、なんだか無理をしているように見える、必死になっているように見える弱い人間に対して言われる言葉のように感じてしまうんですよね。無理しないでね、と言われるたびに、でもあなただってやったでしょ?難なくクリアしてきたじゃない。と思って、余計卑屈になってしまいます笑。つくづく面倒臭い人間ですね。難なく生きているように見える人々に、嫉妬しているんでしょう。だから、私は本当はこの言葉が嫌いです。

 出来の悪い自分は、よく壁にぶつかるし、ストレスも多いです。いつになったら、出来のいい自分になれるでしょうか。それか、出来の悪い自分を認めてあげられるでしょうか。

完璧でないものもいいらしい

 そんな時壊れかけていた私に、友人が言ってくれた言葉があります。3時間くらいぶっ通しで話していたので、ちゃんとした言葉は覚えていないですが。それは、たしか「割れ物の美」です。割れたり、かけたり、割れたものを継ぎ当てたり。そうして、出来上がったものを、完璧なものよりも大層魅力的に感じるのだと彼は言っていました。それが、私に対して言ってくれていたのか、単純に彼が話したかったから話してくれたのかは分かりませんが。割れ物の美。

 私が目指すべきものは、ここなんでしょうかね。今まで、なんとかして完璧に美しい状態を作ろうとして、何度も壊しては作ってを繰り返していたようでしたが、これからは、壊れてしまってもいいのかもしれない。どこかで、出会った何かに少しずつ接着剤になってもらって、かけてしまっても捨ててしまわないで。そうやって、完璧ではないもっとずっといいものになっているのかもしれない。そう思うと、弱い自分がいつか誰よりも味のあるものなっているんじゃないかと思えます。きっと誰にも気づいてもらえないようなものだけど、自分だけは一番だと思えるような美しい割れ物に。

 健康に支障が出てしまっているので、今はその治療に専念しなければいけませんが、少しの絶望は自分に深みを与えるだろうと夢見て、受け入れてみようと思います。
 今絶望の中にいる人、絶望と言えるほどの何もなくてもひどく辛い人、今は立ち止まっていて大丈夫ですので、どうか、深く息だけ吸っていてくれると幸いです。また元気になったら、もっと楽しい記事が書きたいな。今日も読んでいただきありがとうございました。では、また。

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