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中学生の頃の私へ

 こんばんは、いたんです。台風も過ぎ去りようやく天気も落ち着いてきましたね。皆様の地域は、被害等ありませんか?皆様のご無事をお祈りしています。


 さて、たびたびうだうだと日記のようなnoteを書いている私ですが、実はこれでも歴とした教育学部生なので現在とある中学校の方へ教育実習に行っています。なかなかハードな毎日ですが、中学生と接しているとまだ自分が中学生だった頃の感覚や記憶が少しだけ蘇ったり、重なったりして少し変な感じです。なんだかんだ、楽しく過ごしている日々ですが、振り返りの時に担任の先生がおっしゃった一言から、少し考えてしまいそれを整理するためにも、今回noteを書くことにしました。

担任の先生のあるお言葉

 実習が一周間終わり、振り返り会の雰囲気も「頑張りましょう!」から「お疲れ様でした」の感じが強くなってきた中での担任の先生の一言。

「あと残り1週間ですが、あなたたちにとってだけでなく、生徒たちにとっても良い出会いとなるように積極的に関わってみてほしい」と。

 その時に思った。自分は、この子達に何を伝えたいだろう。自分が中学生だった頃、何を言ってもらえたら救われただろう、と。この子達にとって、何か救いになるような、希望になるような存在、そんな出会いになるだろうか。

私が中学生だった時の話

 私が、今21年という短い人生を振り返って最も記憶がなく、最も後悔が多いのは中学時代だと思う。パニック障害が、最もひどかったのが中学2年生だった。毎日毎日、目が覚めるのが怖くて、少しでも早く人生が終わってほしかった。友人関係も、家族関係も、学校生活も全て、全てうまくいかなかった。仲がいいと思っていた友達になんとなく疑問を感じ始め、母と父の仲も悪くなり始め、母は仕事を始めて家にいることが少なくなった。任されていた部長も、持ち前のだらしなさとリーダー性のなさでチームを引っ張れなかった。友人関係と学校生活は今でも後悔ばかりが残る。パニック障害を発症したのは、小学校5年生の時だった、でもその時は、訳もわからず見えないものと戦っていたから、不安は大きくてもまだ誤魔化すことができたし、症状も中学生よりは軽かった。中学生で再発したパニック障害はもっとひどく、まともに生活が送れなかったと思う。今までできていたことができなくなって、死にたいと泣くのがルーティンになっていた。だから、思い出そうにも思い出せない。脳が勝手に思い出すのを拒んでいるのか、きつい思い出すぎて記憶するのを諦められたのか。とにかく、自分が中学生だった頃に何に悩んでいたのか、周りの大人にどうしてほしかったのか、何が嫌で何が好きだったのか。それを思い出せないせいで、中学生を相手に何のアドバイスをすれば良いのかわからなかった。それだし、私の一言がこの子達の何かを変えてしまわないか怖かった。そのせいで、深い話やアドバイスなんかできず、あたりさわりないことばかり話していた。

少しずつ出現してきた記憶

それでも、中学校に身を置いていると少しずつ思い出すこともある。座れるかなと、思いながら並ぶバス停の行列。校門で聞こえる元気な先生の声、とそれに怯える私。教室に入ってからの、居場所探し。休み時間の過ごし方に迷う感じ。クラスとは違う、部活の雰囲気。何となく寂しい、下校。

あぁ、こんなだったなと思った。どこかいつも居場所を探していて、本当の自分を探していて、誰かと一緒じゃなきゃいけないようで、誰かと一緒にいると心が詰まる。今まで、好きだった人が嫌いになったり、嫌だと思っていた自分になろうとしたり。自分が自分じゃないようで、どんどん「みんな」に受け入れられる自分を作り出していた時期。自分の好きや嫌いを他人に任せていた時期。自分がずっと恥ずかしくて、自分なんて消したかった時期。

教室にいると、浮かび上がってくる。教室の一角で、ずっと居場所を探していた自分。そんな自分に何を言ってあげられただろう。

今、中学生の自分に言いたいこと

 そんな私が、今中学生の時の自分に会って何か言えるなら、伝えたいこと。それは、「今の感情を大切にすること」。きっと、中学生だから「自分が好きだと思うものを大切にしなさい」とか、「今興味があることはきっと将来につながるから」とか言われることはたくさんあると思う。私が、大切にしてほしいと思うのはどちらかというと自分の中にある「嫌な感情」だ。これが嫌い、誰々が苦手、あれはキモい、これがしんどい、あいつが羨ましい、そんな自分が嫌い。そういう感情を大事にして欲しいと思う。こういう感情を持つことは全く持って恥ずかしいことじゃない、と私は思う。むしろ、大切にすべきだ。ぎゅっと抱きしめて、温めて、自分のそばに置いておくべきだと思う。多分、それには覚悟と勇気がいる。嫌な感情を持っている自分を受け入れて、なぜそう思ったのか反芻して考えて、それを乗り越えて、どうやって乗り越えたのか記録して。そうすれば、嫌な感情がやがて「自分を守る鎧」になり、「いざという時に役立つアイテム」になる。そうやって、少しづつ強くなれる。嫌な感情を目の前にして、絶望するのは簡単だ。みないふりをして、何となくやり過ごすのはもっと簡単だ。だけど、きっとまた、どこかで立ち向かってくる。何度でも逃げたって隠れたっていい。だけど、いつかまた現れた時には、立ち向かう覚悟を持てる自分になっていてほしい。そういう意味で、嫌な感情を大切にしていて欲しい、と私は強く思う。

嫌な感情も大切にするために

 自分の感情を大切にしてあげるためには、記録をすることだと思う。おすすめは日記だ。日記と言っても、自分に馴染む形のものでいい。私は、手書きの日記もあるけれど、手書きだとどうも思考に手が追いつかなくて何が書きたかったか忘れてしまうので、得意ではない。パソコンで打ち込むなら力をほとんど入れずとも、どんどん文章がかける。文章が苦手なら、絵でもいいし、写真でもいい。その時の感情を未来の自分に伝えられるものなら何でもいいのだ。そうやって、自分の武器を、アイテムを貯めていって欲しい。

もし、今この話を中学生や高校生の人が見てくれているなら、聞いてほしい。あなたが、抱いている感情はおかしなものじゃない。正常なもの。あなたが、少しづつパワーアップしようとしているだけ。恥ずかしいだとか、おかしいだとか、自分はダメだとか、そんなことは一切思わなくていい。目を瞑りたくなるひどい思い出なんて、私にはいくらだってある。思い出すたびに死にたくなるような歴史ばかりだ。でも、そんなものもう恥ずかしくとも何ともない。誰も気にしちゃいないものだ。今を必死に生きていると、どうしてもその場所が全てになる。すごくわかる。だけど、あなたを取り巻く環境はあと80回りくらいには広い。今逃してしまうともう一生掴めそうにないものとか、そういうものにとらわれる必要はない。今、取りこぼしても、いつかまた掴める日が来るし、それを無視して過ごせるようになりもする。だから、今の自分をどうか否定しないであげてほしい。大事に大事に扱ってあげてほしい。誰かに大事にされなくても、自分だけはどんな自分も抱きしめてあげてほしい。どうにもならない現実があっても、あなたがあなたを傷つけることだけはしないでくれると嬉しい。そうだと私はとても嬉しい。
何にもないのに、ひどく辛くて、孤独でどうしようもない日があったら、深呼吸して、一休みして、孤独と一緒にこたつにでも入ればいい。何も否定しなくていい。そのままで、そのまんまで大丈夫。このことを覚えていてほしいと思う。

若さは、時に残酷だから、若さを頑張るべき理由にしなくていい。今の自分を大切に。


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