ときどき日記(475)社説の尻馬に乗ってデジタル相を糾弾する
読売新聞の社説(2023/9/22)がデジタル庁を厳しく批判している。
「プライバシーに関わる機微な情報を扱っているという重大性について、自覚を欠いていたと言わざるを得ない」と指摘するが、それは、デジタル庁の一般の公務員ではなく、デジタル庁を支配する政党・政治家であるということを改めて確認しておきたい。
「『公金受取口座』の誤登録問題を巡って、政府の個人情報保護委員会(略)が、デジタル庁に対して行政指導を行った」わけだが、こんなことを受けるデジタル庁の運営指導をしていたのは政党・政治家である。
そもそも公務員は、法で守秘義務が課せられており、それは退官後、生涯を閉じるまで課せられている。どんな公務を行うに当たっても反射的に守秘義務が頭の中に想起され、漏洩しないよう本能的に業務を組み立てるものだ。
にもかかわらず、情報が漏洩したのは、組み立てた業務の流れの一部を端折ったためだと思われる。これは一般の公務員ならやらない。政治的指導が入ったはずだ。
「デジタル庁の個人情報管理(の)不備」は大臣が闇雲に〝前倒し〟を好んだ事による産物だ。
デジタル庁の職員は「全国民に付与されたマイナンバーを扱い、個人情報の重要性を最も認識している」が、公務員の生殺与奪を握る政治家には抗えなかったのだろう。
「公金受取口座の誤登録は」、「自治体の窓口で」住民に登録作業を直接やらせてしまったために起こったものだ。公務員の立場からすると、あり得ないやり方だ。
住民にシステム操作をやらせてしまえば、操作が不案内だったりして却って手間取る。ハード、ソフト問わず、壊されてしまう恐れもある。誤った情報を持参するなりして、それを入力してしまう恐れもある。公務員に任せれば出来たはずのダブルチェックも出来なくなる。
「河野デジタル相は問題発覚当時、『どうしても避けられない人為的なミスがある』と述べて、政府には落ち度がないかのような説明をしていた」が、ここが、一般の公務員とは感覚が大いに異なる点だ。
公務員は常に完璧を目指し、たった1件の漏洩も出さない覚悟でやっているが、一般の公務員ではない「河野デジタル相」は多少のロス(ミス)は仕方ない感覚なのだろう。
「河野氏が問題を過小評価していた」のだ。
「ミスが予想されるなら、なおさらそれを防ぐ手当てを講じるのが」一般の公務員の感覚だが、大臣がそうではないから起きた問題だ。
「デジタル庁に」「組織運営上の問題があ」るのは明白だ。
特に「情報共有体制に不備があるのは明らか」で、大臣が情報を共有するに値しない人物か、もしくは、政治家が握る公務員の生殺与奪を背景に振りかざす〝突破力〟とやらに公務員が怯えていたかだ。いずれにせよ、大臣の資質が招いたものである。
多少のロス(ミス)には目を瞑る「ビジネスと公務は違う」。
大臣は「国民生活の安寧を第一に考えるべきではないのか」。