ときどき日記(591)日本食堂五反田営業所 書き綴ることで人生に折り合いをつける
「ときどき日記」のいくつか前に何回か「時刻表復刻版の旅」なるものを書いた。その中で私が昭和58年9月まで日本食堂に入社していたことを書いた。その日本食堂に読んでいる本の中でめぐり逢えた。
ご存じの方もいらっしゃると思うが、経済アナリスト森永卓郎の「書いてはいけない」という本の中で、85年の日航ジャンボジェット123便の事故は、自衛隊の練習弾が123便に当たってしまい、それを隠蔽するために御巣鷹山で撃墜された的なことを書いたらしい。氏がYouTubeでもおっしゃっていたのを拝見して、そのことは、日航の元CAが書いていたというから、今、それを拝読させてもらっている。
その中で日航の女子寮が元々は日本食堂の寮だったと書いてあった。
83年に入社し五反田営業所で一緒だったソバとハルチャンは、そっち方面の寮に入っていた。その女子寮が日航のものになったのではないかと思った。
ソバたちは83年に入寮していた。日航の事故は85年。同じ寮でもおかしくない。時代的にもそんな気がする。
品川の国鉄のヤードや東京駅に近かったから北品川に寮を置くメリットがあったと思うが、ちなみに男子寮は大森、そこに連泊して新人研修を受けた。食堂車は斜陽に、特に新幹線は乗車時間が短いから儲からないこともわかっており、過渡期だったことからも寮を処分したとも推測できる。
でもさすが日航さん。ひとりに一部屋、直通電話1本だ。
ソバとハルチャンたちは、二人で一部屋。もちろん直通電話もなかった。
そのソバとハルチャン元気かな? 今年、還暦を迎えるはずだ。