ときどき日記(619)ユースホステルでホームシックにかかる
時刻表復刻版の旅(10)
札幌のユースホステルだ。場所はどのあたりだったか、今となってはまったく見当が付かない。到着すると「お帰りなさい」との声。私は「???」だ。その手のユースホステルだということを全く知らなかったから戸惑った。
確か1カ所あたり何泊までと定めがあったはずだが、明らかに住んでいると思われる人が居て、宿泊室にはロープが張り巡らされて洗濯が干されていた。パチンコ屋さんで働いちゃったり、就職を決めちゃったりした人も居た。その洗濯をかいくぐってベッドにたどり着くだけでも辟易としたのに、夕食は「集会」の中で行われるのだ。
食べるだけ食べて部屋に帰りたいのに「集会」は続くから部屋へは帰れない。「居住者」のひとりが札幌で就職を決めたため、そのお祝いもあったし、知らない人の・・・。知らない歌までみんなで歌わされた。今でもその一節は覚えている。「あーあー積丹~、女~郎~小岩~」。おかげでホームシックにかかってしまい、翌日、逃げるように帰京の途についた。
「函館本線」まわりの列車で札幌を離れたが、11月3日頃だったと思うが、倶知安あたりではかなり雪が降っていて、白銀の世界だった。
連絡線3回目の旅は後回しにして、4回目は、先出の東北のローカル線をジグザグに北上したときの旅で、連絡線が廃止されることが決まっていたので、乗船だけのために乗った。
さて、いよいよ、連絡船がらみでは最大の旅になった3回目だが、「北海道ワイド周遊券」を使ってオホーツク海沿岸に沿って北上していく旅だった。
復刻版の「索引地図」に戻ると、この頃、道内は今と比べると真っ黒と思えるほど、路線が張り巡らされていた。オホーツク海沿岸で言えば、「湧網線」「名寄本線」「興浜南線」「興浜北線」「天北線」すべてが廃止されなくなってしまった。「釧網本線」の一部がオホーツク海に面している程度だ。「名寄本線」などは本線なのに廃止されている。
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