阪神・淡路大震災の避難所(7)トランシーバーを2台抱え、何人もの男の子達をあごで使っているのだ
4時半から食事の配給が始まる。先ほど仕分けした食事を配給するのだ。班長等が代表で受け取りに来ることになっていて、その日の人数を申告してもらう。毎日人数の決まっている班は何の問題も無くスムースに渡すことができるが、日によって人数の違う班には閉口した。用意してあったセットを手直ししなければならないから少し時間がかかり、時間がかかればかかるほど、その後ろに並んでいる人達の鋭い視線やイライラが伝わってきたからかなり緊張した。
630人分をおおむね配給してしまうと、次はグランドへ繰り出す。
ここでは、避難所の外で生活している人(避難所に入らなくても暮らせるが食事の調達の出来ない人)達への配給が行われる。ここでの配給はアバウトで来場した人の申告数をすべて渡してしまい、無くなったらそれで諦めてもらうというシステムを採用している。(それでもクレームはつくもののほとんど問題は起こらない)
倉庫からすべての食料を表に出して、フリーマーケット風に弁当、牛乳等、スープの素、パンの順番で並べる。
並んで待っている人を少しずつ入場させ受け取らせていく。いっぺんに入場させ過ぎてしまうと収拾がつかなくなるので、ボランティアのある女の子が仕切っていた。
ロッテンマイヤーと名乗る完全な日本人の女の子で、高校の制服を着ていた。ジャンヌダルクの様な娘で、トランシーバーを2台抱え、何人もの男の子達をあごで使っているのだ。そして何百人という食事を受け取りに来た人々を仕切っていたのには頭が下がった。
ロッテンマイヤーが仕切っていたと言っても、また、それぞれのパートでの能率は求められた。ボランティアの尽力が無ければここでの食料の配給はかなりの困難を極めてしまうが、また一方で、ボランティアの熱心さがかえって非能率を生んでいた。例えば、せっかく人が通りやすく品物の配置を工夫しても、熱心の余り、品物の前に出てしまい、かえって人の流れを阻害したり、品物が何であるかを見えなくしてしまったり、受け取る側の立場に立てなくなってしまったりの弊害を生んでいた。
ここで、すっかり昔の商魂が頭をもたげ、つい「こういう風にしたら受け取りやすいだろ・・・」などとつまらぬおせっかいをして、若いボラをきつく指導してしまった。迷惑だったかもしれない。スマヌ・・・。
(つづく)