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もんもんジジイ

コロナ禍以降、毎週欠かさずオードリーのオールナイトニッポンを聞いている。

世間で言うところのリトルトゥースだ。


先日の放送で、若林の声がガラガラになってしまっていた若林が「このまま放送を続けるか、それとも若林は帰った方がいいのか」と、リスナーの意見を募集するというくだりがあった。


リスナーからのメールの大半は、「若林さん今日は帰ってくれていいです」というもので(リスナーの1人からの「春日が帰れ」というメールには思わず声を出して笑ってしまったが)、

結果、若林は途中で帰っていった。


ただの体調不良をちょっとしたエンターテイメントに変えていたのは、
ラジオならの楽しみだなぁと思ってた一方で、気になるメールがあった。


「若林さん、今日は帰った方がいいです。

 …なぜなら令和だから。」




すごくシンプルなメッセージではあるが、めちゃくちゃ腹落ちした。

令和って何?


ここでいう令和は、ただの皮肉だと思った。



多様性とか、


働き方改革とか、


なんとかハラスメントとか


令和を象徴する言葉っていくつかあると思う。



「体調が悪い」「なら帰りましょう」

っていうのは、もはや「ありがとう」「どういたしまして」くらい日常化したやりとりだ。


尊重なのか、無関心なのか


さっきのリスナーは若林ではなく、時代をいじっていたんだよな。


今の世の中は「弱い立場の人を尊重する空気」が漂っている。

社会が「弱者を守ろう」とする方向に進んでいるのは間違いなく、
オレもその恩恵を受けているのが、

その裏にあるのは、尊重ではなく、無関心なんじゃないだろうか。


弱い部分を受け入れられるんだけど、何かを見て見ぬふりをしているような感覚。


だからこそ、いざ「令和だから」と言われると、ちょっとひいてしまう。



「令和」っていい時代なのか?


こんなこと思う時点で、「昔はよかった」とか言ってるそこらへんのじじいに
いよいよなったんだなと本気で思う。

令和って言葉の延長線上にある「頑張りすぎなくていいよ」というメッセージ。



本当にそれでいいんだっけ。



他の国に行けば、もっと必死で頑張ってる人多いんじゃない。



ジジイは思う。



GDPとか、幸福度ランキングとか、国を図る指標は色々あるけど、
もし「必死に頑張っている人ランキング」とかあれば、今の日本は何位なんだろうか。



俺は最近でも、徹夜で仕事してしまったりするのだが、それがプロジェクトとは違う同僚にばれようものならちょっとバカにされてる気がする



、、、俺の要領の悪さをバカにされている可能性が多いにあるが。





今の生きやすい世の中って、イコール幸せな時代になってるからなんだろうか。


悶々する。


そして、頑張りすぎてる人の評価は昔より低くなり、弱い人には興味が薄れている。


悶々する。



それ以上に、時代なんてあり触れたワードについて考え、こんな文章書いてる自分に何より一番悶々する。

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