自分の中には”脳”と”体”と”心”がいる 

初めまして。八代由紀と申します。

タイトルから意味不明や気持ち悪いと思う方もいるでしょう。
しかし、去年から自分のなかに”脳”の意思と”体”の意思、そして”心”の意思が存在するのです。

彼らは同じ瞬間にそれぞれ違う主張を出します。一週間前の休日に起床したときには”脳”は「また寝たい」 ”体”は「早く外に出たい」 ”心”は「ごはん食べたい」と主張してきました(笑)
意見がバラバラな彼らですが、私は誰の意思を優先しようと考えて行動しています。

最初のころは本当に戸惑いました💦
自分は多重人格なのではと疑う日々でしたし、恥ずかしくて誰かに相談もできなかったのです。

でも、こんな事態に発展したのはこれなんじゃないかと考えています。

私は小さいころからこだわりが強く、気に入った物がどんなに古かったり非難されても手放さない子でした。今思えばASDの症状だったんですね。

そして、人生のなかで1番困ったことが友人つくりでした。
友人が欲しいのにできない
のではなく欲しいと思えないのが本音でした。トイレに一緒に行こってアレがすごい現象とすら思えましたね。
そんなわけで友人が欲しいという気持ちが湧かないため、一人で学校生活を送ることも苦ではないのですが、それに困ったのが母親でした。

母は常識人かつ友人をつくり友人と遊ぶことがなによりの幸せと考える人がゆえ、私の持つ価値観が合いませんでした。
友人を作らない私に母は通知表が来た後やその数日後に”大事なお話”をするのです。
「由紀。あなた親友は何人いるの」
「え…と 〇組の△ちゃんだよ」
「後は」
「…おかあさん。親友はそんなホイホイできるものじゃないよ」
バン!!!!
そのとき、ものすごい音がしました。母がすぐ近くの机をたたいたのです。
「どうしてあなたはそう殻に閉じこもっているの!!!もっとシャンとしなさい!!!」

あの時の母はとにかく怖く、私は目を腫らして顔をぐしゃぐしゃにしながら泣いて「ごめんなさい」とひたすら謝るのですが、3回「ごめんなさい」を繰り返しても「ごめんで済むわけないでしょう!!!」という母の怒号から謝っても意味がないのだと悟りひたすら母の言葉に耐えました。

それが年に3回で、小学校3年生~中学1年まで続きますね。

それから中学2年生からは友人つくりを最優先に生きてきました。
母の目は常識的であったためか、常に1人でいる子に話しかけ、地元の夏祭りに誘って出かけても
「由紀は×ちゃんたちとは楽しくないの?×ちゃんは◇ちゃんたちと夏祭り
でかけるって。由紀はなんで×ちゃんと遊ばないの」
×ちゃんは当時華やかなグループの中心人物です。私も小学校1年生のときは一緒に遊んでいましたが、高学年になれば陽キャと陰キャは自然と離れるもの。しかし、母は×ちゃんのお母様と仲が良いゆえに私が同学年の陰キャ同士でつるむことを訝しく思っていたのかもしれません。

それゆえに、中学2年では同じ小学校ではない子のグループに入りました。別の小学校ならばだれが陰キャなのか分からないうえ、私を入れて4人グループだったので母も一安心した顔を見せるようになりました。

そうして友人つくりに勤しみ、”友人”に嫌われないよう常に顔を笑顔で覆って、頼み事も断らない”お人好しで優しい八代由紀”を演じてきました。
陰キャにはパリピやヤンキーの演技は無理でした(´;ω;`)

そして高校2年で心を壊しました。
授業中に胸に激痛が走り、過呼吸になって保健室に直行です。
いわゆるパニック症状を起こしました。

その日から数日は笑顔を作ることすらできなくなってしまい、戸惑っていたのを今でも印象に残っています。

こうして自分の本音を欺き続けてきた八代由紀は本音を主張する何かが出来上がったのです。

心身を壊した後も後遺症は残ってしまい、今でも人の顔色を窺い、唐突に胸は痛くなり、過呼吸を起こして怖い日々を送っています。

現在、自分ではない誰かに尽くしていたり、「いつか自分のためになる」と親の言うことを聞くのは、どうか私の体験を知ってから決めて欲しいです。








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